「人生の特等席」

人生の特等席

 クリント・イーストウッドの最新作、‘TROUBLE WITH THE CURVE’に与えられた「人生の特等席」という邦題は、場合によってはツッコミの対象になりかねないが、野球という、日米が明治以来共有しているスポーツ、それとなによりクリント・イーストウッドの風格をかんがみれば、案外よいのかもしれない。
 「グラン・トリノ」のときよりさらに老け役だが、あのときよりさらにかっこいい。ユングがアメリカンインディアンの研究をしているときに、‘アメリカンインディアンは老いると美しくなるが、西洋人は老いると醜くなる’みたいなことを言ったと記憶しているが、この映画を観るかぎり、それはまちがいだったな。
 この一週間は、「黄金を抱いて翔べ」にはじまって、「カミハテ商店」、「その夜の侍」、そして締めくくりがこの映画とは、なんとも、贅沢な一週間だった。
 しかし、この4本のなかでは、この映画の評がいちばんゆるぎないはずなので、わたしとしては安心して瑣事にふれて、とりとめない話に終始したい。
 「父親たちの星条旗」のときだったか、イーストウッドの映画には黒人が少ない、みたいな批判を受けたことがあったと思う。バカバカしい批判だと思うのは、あの映画と「硫黄島からの手紙」で日米双方から戦争を描く企画なのだから、イーストウッドをさして差別的だという批判はお門違いなはずである。だとしたら、いったい何を言いたかったんだろうと不思議に思った。
 そのことを思い出したのがこの映画についての瑣事のひとつで、まだ記憶に新しいアメリカの大統領選挙のさいに、イーストウッド共和党の大会でロムニーの応援演説をした。
 ニューズウイークによると、イーストウッドは‘保守層に好かれる数少ない俳優の一人’で、しかも、あるマーケティング会社の調査によると、彼を知っているアメリカ人は全体の82%、50歳以上を対象にした調査では96%だそうだ。
 昨日の日経ウエブにこんな記事が載っていた。

 「2012年大統領選で最も正しかった世論調査はどこか」。米ニューヨーク・タイムズに選挙後、こんなコラムが掲載された。執筆したコラムニストのネイト・スライバー氏は今回の大統領選の序盤戦から一貫してオバマ氏が優勢との見方を示してきた数少ないジャーナリストの1人だ。

このネイト・スライバー氏が

直前まで大接戦と言われながら、ふたを開けてみればオバマ大統領の圧勝という結末。多くの調査はなぜ、選挙結果を予測できなかったのか。

について分析していて、その内容ももちろん面白いのだが、わたしとしてさらに面白いのは、このネイト・スライバーという人が

もともとは会計事務所のアナリストだったが、野球の成績などのデータを解析する専門家を経て、選挙アナリストブロガーになった異例の経歴を持つ。今回の選挙で同氏はほとんどの政治アナリストが接戦を予測する中で、選挙人、得票率のいずれもぴたりと当ててみせた。

そして、

 スライバー氏が得意とする野球のデータ解析は「セイバーメトリクス」と呼ばれる。出塁率長打率という徹底したデータ重視のチーム編成にこだわって弱小チームを優勝に導いたノンフィクション映画「マネーボール」は日本でも有名になった。米国ではすでに政治の世界にも同じ手法で政治の動きを分析する動きが出ている。

だって。
 「マネーボール」は、ブラッド・ピットが演じるビリー・ビーンが、昔気質のスカウトたちを敵に回し、アスレチックスの球団改革を成し遂げる話だったが、今回の「人生の特等席」の主人公はブレーブスの老スカウトマンなのだ。
 野球という文化をめぐって、ブラッド・ピットクリント・イーストウッドという名優が、真逆から映画を作って、その両方とも個性的でしかも面白いっていうところに、アメリカの成熟を観る。しかもそれが大統領選挙とリンクしている。
 もうひとつの瑣事は、クロッギング。そんなものがあることさえこの映画で初めて知った。たぶんあれはアメリカの白人だけが共有する民族的なダンスなんだろう。黒人の文化は、ジャズ、ロック、ブルース、ラップと、国境を越えて国際的な標準になったが、白人の文化はだんだん寂れていくかのような哀愁を感じた。でも、それはそんな悪い感じがしない。太宰治の「右大臣実朝」が滅びゆく平家の明るさを言ったように、底抜けに明るく、使い慣れた古道具の手ざわりがある。今世紀半ばにはアメリカの非ヒスパニック系白人は過半数を割るそうで、それは滅びとはまったく言えまいが、ただ、少数民族となっていくとは言えそうで、そのことが、先に挙げた‘クリント・イーストウッドの映画には黒人が少ない’という理不尽な批判を思い起こさせたの。少数民族に向けられるたぐいの言いがかりにどこか似ていると思って。
 瑣事から余談に話は移るが、最近、白人をアメリカの少数派として描く映画が気になっているかも。「ウインターズ・ボーン」がすごくよかったし、映画としてはあまりよくなかったけど、ダイアン・レインリチャード・ギアが共演した「最後の初恋」に登場するローダンテの老人たちとか、白人の貧困層という意味では「フローズンリバー」もよかった。
 滅び行くかどうかはともかくとして、アメリカの白人社会が古い社会といっていい年輪を重ねたのは確からしくて、そうなるとそこに、いろいろなことがありながらも‘よい部分があったな’みたい懐かしむ気持が生まれてきて当然だろうと思う。そしてその気持の中に、野球も、クリント・イーストウッドも、両方ふくまれているのは間違いないのだから、これはまあそういう空気も含めて味わう映画じゃないかと思う。そのノスタルジーを、私たち日本人が案外共有していることにも、なにかしら感慨をおぼえるのではないか。
 老スカウトマンの娘ミッキーを演じたエイミー・アダムスが達者だ。この人はノーラ・エフロンの「ジュリー&ジュリア」もよかったし、ディズニーの「魔法にかけられて」は、この人の芝居じゃなければありえなかったと思うのです。
 老スカウトマンたち(中には黒人もいる)が、酒場で交わすやりとりのなかのアイスキューブやサミー・デイビス.Jrについてのくだりは、きっと映画に詳しい人はくすぐられるのだろうと思う。わたしはわからなかったけど。