後記

 上の記事に書いた早野透の著書『田中角栄』について、12月23日の日経WEBにも記事があった。 「田中政治は終わったのか」編集委員 大石格。
 越山会の元幹部に「田中政治とは?」と尋ねたら、「だってあんたらがそれはダメだってことにしたんだろ」と、子供じみた返事がかえってきたそうだ。そして、おきまりの文句「東京もんにはわからんよ」。これが元衆議院議員の言葉なのだから情けない。
 題の「田中政治は終わったのか」という意味は、自民党の大勝で地元が期待しているのは、田中政治の再来ではないかということで、自民党の上部の安倍晋三石破茂菅義偉のレベルではどうあろうと、末端の議員たちは、地元の利益誘導に走ることは十分に考えられる。田中真紀子を破った自民党長島忠美は「批判されようが、公共投資を増やして景気回復を最優先する。それがふるさととの約束だ。」と、「東京もんにはわからん」ふるさとウケ狙いの演説をしていたそうだ。
 大石格は、「問題はいまの日本に全国津々浦々に配るだけのカネがあるかだ」と書き、こう続けている。

早野氏の話を聞きに行ったら「角栄は情の人だった」という。田中氏を最も知る人の言葉に反論する気は毛頭ない。
 ただ、疑問がないわけではない。政府の予算にせよ、ポケットマネーにせよ、配るカネがなかったとしても田中氏は「情の人」を続けられたのだろうか。この疑問は、利益誘導どころか不利益を分配せざるを得ない時代の政治家の姿を考えることでもあるのだ。