「決める政治」

knockeye2012-12-20

 いきなり引用で恐縮だが、宮崎哲弥

 野田氏がここまで錯乱した責任の一端は、「決める政治」「決められる政治」などというふざけた標語を広めたジャーナリズムにある。

と書いている。今週の週刊文春
 「決める政治」はひどかったが、なんとなく一般社会に受け入れられたていになっていたのは、批判する張り合いがないのであまり批判されなかったからだろうと思う。
 最近のマスコミは言語能力に障害でもあるのか、語彙がひどく貧弱で、もう今は多くの人が忘れていると思うが、「政治とカネ」というのもあって、これは政権交代前からなんとか小沢一郎を引きずり下ろしたいスジの意向を受けて作られた言葉だと思われる。
 しかし、‘と’は、たんに二つの単語を並列する意味しかないから、「政治とカネ」では何を言ったことにもならない。小沢一郎の無罪は確定したが、それは政権交代の前から、というより、はじめから、どこにも犯罪の要素がなかったと、すくなくともネットの世論は言い続けてきたことだったと思う。だが,この間、テレビや新聞は、ずっと小沢一郎を犯罪者扱いしつづけてきたし、NHKにいたっては、‘元秘書が自白’などという虚偽の速報を流しさえした。
 つまりずっとウソを垂れ流し続けてきたわけだが、その報道姿勢の根拠となる言葉が「政治とカネ」。‘と’って。こんな内容のない言葉でどうどうとキャンペーンを張れる気持がわからない。佐藤優が、小沢一郎をめぐる一連の出来事を‘彼らの戦争’と表現していたのを思い出す。正確だったと思う。
 「決める政治」って、政治が何かを決めるのは当然で、たとえば郵政民営化を例にあげれば、国会で長すぎるほど長い時間論議して、それを選挙にはかって大勝したわけで、これは政治が民主主義の手続きをへて決めたことだった。ところが、その同じ自公政権の麻生政権は、郵政民営化だけでなく、それまでの政権の決めたことを官僚のいいなりにあっさりひっくり返そうとした。これについては、当時、大前研一の指摘を紹介した。この国の官僚は、政治が決めたことを骨抜きにしてしまう。だからこそ、国民は「脱官僚」を掲げる民主党に期待したのであって、そのマニフェストをほとんど反故にして、官僚のいいなりに消費税をあげるのがなんで「決める政治」なの。
 わたしに言わせれば「格差社会」ということばも同じようなものにすぎない。しかし、これは使い続けているうちに、なんとなく‘こういうことを言うんじゃないの’みたいな漠然としたとらえ方をされるようになっていると思う。そのへんのことについて、同じ週刊文春の書評欄に紹介されている『田中角栄』という早野透の本について書いた萱野稔人の書評が面白い。

 戦後の高度経済成長によって膨らんだパイをいかに社会に分配していくか。田中角栄という稀代の政治家が担った歴史的課題を一言でいうならこうなるだろう。

 田中角栄は、積極的な財政出動でこのパイをどんどん配った。バラマキだが、民主党のバラマキと違っているのは、直接分配ではなく間接分配、いわゆる土建屋政治で、これが企業と官僚と族議員の強固な既得権益をつくりあげることになったとわたしは思う。
 たとえば、電源三法による原発の地方誘致は、都市と地方の格差をなくすために行われたが、それが強大な‘原子力ムラ’を形作ることになり、太陽光発電など八〇年代に日本が世界に先んじていた技術、それは高度経済成長後、もしかしたら日本の経済を牽引していく技術の一つになりえたかもしれないのに、このとき出来上がった既得権益の構造が、そうした新しい成長の芽をつぶす方向に働くようになった。
 このパイの分配が、配られる側を豊かにしたか、配る側を富ませたかは、田中角栄が住んでいた目白の御殿を見ればわかりそうなものだ。

 本書は、そうした積極的なパイの分配をおこなう政治の内幕とはどのようなものだったか、そしてその政治を体現した人間の生涯とはどのようなものだったのかを具体的に私たちに伝えてくれる。
(略)
パイの分配はたしかに心地いい。しかし
(略)
私たちはその負の遺産に何とか対処しなくてはならなくなっている。

 官僚天国という天国に入る門の銘板には「格差是正」と書いてある。「格差是正」は彼らの富の源泉なのである。しかし、その富の元となる国民の富‘パイ’はどんどんしぼみ続けている。むちゃくちゃなパイの分配はやめさせて、財政規律を取りもどさなくてはならない。そのことが結局、構造改革であり、脱官僚だった。そのせいで「格差社会」になったなどというのが、どのような意図のプロパガンダだったかはすぐにわかるはずだ。民主党経済財政諮問会議をつぶしたとき、官僚たちは祝杯を挙げたといわれている。
 第二次安倍内閣では、経済財政諮問会議を復活させるそうだが、機能するかどうかは運営にかかっている。投票率を見る限り、国民の期待はあまり高くなそそう。
 そろそろ年賀状の季節。
 ちょっと手持ちの画像から来年の干支、ヘビに関するものを探してみた。アンリ・ルソーの蛇遣いの女はベタすぎるので、パスするとして、下の画像は牧谿の羅漢図。座禅を組む羅漢の腰に大蛇が迫っている。

 下の画像は、村上華岳の日高河清姫図。ヘビになる前。