アートと音楽、「秋のソナタ」

knockeye2012-12-19

 そんなわけで、日曜日は東京現代美術館に「アートと音楽 − 新たな共感覚を求めて」を観にいった。
 アートと音楽は、むしろ、安易に結びつきがちだということをわたしたちは知っている。どうしようもないドラマのラストに名曲を流して無理矢理泣かせる、みたいなこと。
 敢えてそういう低レベルな例を出さなくても、オペラとか、映画とか、音楽と映像が総合されている芸術のあり方をわたしたちは既に知っている。だから、あらためて「アートと音楽」というお題でものを考えてみる意味があるとしたら、副題にあるように、「新たな共感覚」が必要になる。日常的に結びついている視覚と聴覚を一度切り離して、その関係を仮に再構築する試みなら有効だったろうと思う。
 しかし、それはこちらの勝手な期待にすぎなくて、それに添わなかったからといって文句を言う筋合いはない。
 セレスト・ブルシエ=ムジュノの<バリエーション>は、白磁の器が安っぽいのに目をつぶれば、いい感じだと思うけれど、日本人としては、たとえば、風鈴であったり、ししおどしであったり、水琴窟であったり、ああいった偶然性の奏でる音のインスタレーションについては、なじみがありすぎてインパクトはなかった。
 ほかはやっぱり映像作品になりがちで、そのなかでも池田亮司の作品は完成度が高いと感じたが、さっきいった「新たな共感覚」というほど、音と映像の関係を解体してはいないと思う。
 バルトロメウス・トラウベックの<years>は、木の切り株の年輪を改造したレコードプレーヤーで回して、音楽として出力する。これはでも、野村仁の「MOON SCORE」とか「Gru’s score」と同じ発想だし、あちらはなんといっても’60年代にすでにやっているのだから、新しいとはいえない。
 それで、場所も同じ東京都現代美術館だし、思い出してしまったのは、田中敦子の‘ベル’という作品で、あれは、インパクトがあった。1955年の作品だった。観覧者がスイッチを押すと、等間隔に置いてある、ちょっと大きい目覚ましくらいのベルが、順番に鳴り響いて部屋の隅から隅まで往復する。それだけなんだけど、他の絵とか見ている後ろで、ベルが順番に鳴りはじめると、‘ああまただれか押したな’みたいなことで、つまり、田中敦子というひとは自分の展覧会を自分でじゃましてるみたいな、不思議なことをしているわけだが、それがなぜか、回路図みたいな彼女独特の抽象絵画に、活気を与えているような気がしたのを憶えている。
 今回の展覧会に話を戻すと、わたしがいちばん気に入ったのは、ジョン・ケージの<4分33秒>という作品の演奏風景をマノン・デ・ブールというひとが記録した<二度の4分33秒>という映像作品。
 <4分33秒>という‘曲’はたぶん有名なのかも知れない。‘曲’といっても、ピアニストがピアノの前で4分33秒なにもしないのだが、これを二度違うアングルで録画している。
 ジョン・ケージのその曲の譜面も展示されていた。そこには1952年とあるから、発表された当時はたぶんそうとう物議を醸したと思うが、美術館でその演奏風景の映像を見ていると、まるで古典音楽を聞いている気分になっていることにに気が付いて苦笑いしてしまった。でも、映像の中の観客も演奏者もそういう顔をしている。これはだから二重の問いかけになっている。
 大友良英リミテッドアンサンブルズは、たぶん、戦後だんだん大きな流れになってきているリサイクル系の作品。ジョセフ・コーネルの箱を大規模にしたような感じ。古いアナログディスク(‘レコード’と書くよりこう書いた方がレコード世代の自分にとってもイメージしやすくなっているのが不思議)プレーヤーを集めて、ディスクなしで音を出している。
 レコードの時代が去って、もともとは、音のいれものでしかないはずのレコードプレーヤーが、ハードそのものとしての音を発している。と、ちょっとセンチメンタルな見方をしてしまう。
 それから、同時開催されてる「風が吹けば桶屋が儲かる」っていうわけのわからない展覧会も観た。奥村雄樹というひとが字幕を担当したビデオ作品が面白かった。サイモン・フジワラという人がハックルベリー・フィンについて話している内容も面白かったのだけれど、それよりも、あちこちのモニターで同時にわぁわぁしゃべっている感じが面白かった。
 でも、まあ、これはついでに観ただけだし。
 常設展にはいって、デビッド・ホックニーがあったりすると、ぐーんと格上という感じがしちゃうのは、美術館で絵を観るということになれすぎているのかもしれない。絵を観ることが癖になってる。我ながらどうなのかなと思う。
 そのあと、渋谷で「秋のソナタ」を見た。午後3時の回になってしまって、発見したことは、現代美術の鑑賞には時間がかかるということ。
 イングマール・ベルイマン監督、イングリッド・バーグマン主演。まるで、舞台のようだと思うのは、独白という、最近の映画ではあまりお目にかからないシーンがあるからだろう。でも、パンフレットにはシナリオが採録されていたりもする。
 母と娘のこの苦さがいい。
 こういう苦さに浸りたいなという最近の気分は、個人的なものかどうか。
 いま、ユーロスペースにかかっている「カミハテ商店」「その夜の侍」そしてこの「秋のソナタ」はどれもいい。一日居続けして3本を見ても悪い一日にはならないと思う。