クリスチャン・ボルタンスキー

knockeye2016-10-10

 板橋区立美術館で、サザエさんの展覧会が開かれていた。行こうと思ってたのだけれど、ことし、関東地方の10月は雨続きで、あの美術館はどの駅からもすごく歩くから、ちょっと逃しちゃった。つうか、はぐらかされてしまった。というのは、この10日は、曇天とはいえ、降りはしなかったのだけれど、最終日に駆け込むのもどうなの?って気分だった。まあ、サザエさんは、実家には全巻揃ってるし、世田谷には長谷川町子美術館もあることだし。
 それで、東京都庭園美術館に、クリスチャン・ボルタンスキーを観に行った。
 ボルタンスキーは、ワタリウムで観て以来、気にかかっている。どういう来歴の人か知らなくても、また、その作品の由来について何も聞かなくても、なぜかすんなり受け入れられる。一方では、抒情的すぎるのではないかという、警戒心が頭をもたげないではない。
 いずれにせよ、クリスチャン・ボルタンスキー単独の展覧会は珍しい。しかし、ゴッホゴーギャンほどの集客力はないはずと多寡をくくっていたが、ボルタンスキーに集客力がなくとも、東京都庭園美術館にはあるらしい。なにせ、昭和モダン、アール・デコ様式の代表的建築である旧朝香宮邸そのものなのだし、三連休なのだから、大混雑とは言わないものの、おやっ、と思う客の入りだった。
 クリスチャン・ボルタンスキーは、東京都庭園美術館での展覧会が決まった時、「亡霊の存在」に一番興味を持ったと語っている。
 「箱」の美術館のほうが効率よく展示できるが、美術館とは別の履歴のある建物で展示したほうが、ちょっと今、ボルタンスキーの正確な言葉は思い出せないが、予期しない効果が生まれる、といった意味のことを語っていた。美術館でインタビューの動画が見られるので、訪ねるかたは確かめてごらんになるとよい。
 ボルタンスキー自身は、ホロコーストの最後の世代を自認している。パリ解放の1944年に生まれた彼自身がホロコーストを体験したわけはないが、父母や祖父母がそれを体験した、ボルタンスキーの世代が、もちろん、ホロコーストと何の関係もないとはいえない。
 そうしたボルタンスキーの作品が、ナチスドイツと枢軸国の一翼を担った日本の、旧宮邸で展示されることはエキサイティングだと思う。「意義がある」とかいう、理知的なことではない。もっと生暖かい何かの感じで、それをたぶん「亡霊の存在」といっているのかもしれない。
 だが、その感じかたは、実際にホロコーストを体験した世代とは、きっと違うと思う。かかわり方が間接的であるために、ひりひりする切迫感がない代わりには、当事者であるがゆえの視野の狭さもない。
 「『神話』をつくるということを、作品として考えています」
と語っている。
 たとえば、≪アニミタス≫という作品がある。標高2000メートルを超える、チリのアカタマ砂漠に、星座を模して日本の風鈴を並べている。が、その場所を訪ねることは難しく、もし訪ね当てたとしても、作品は半ば壊れているだろう。しかし、
「作品が実際にあるかどうかは、本当は、それほど重要ではなく、その神話が存在する、ということが大事なのです。」
「重要なのは、砂漠のどこかに、何百もの鈴があって、それが、風を受けて鳴り続けている、と知っている、ということなのです。」
 「神話」だから、多分、受容しやすいのだと思う。コンセプチュアルでなく、スピリチュアルだから、といえるだろうか。
 また、自分の作品は、宗教の場所や儀式のコピーだとも語っている。ただ、宗教との違いは答えを求めないこと。たとえば、旅先で通りかかった寺院に入ってみる。そこで行われている儀式の意味は理解できない。「しかしそこであなたは自分が問いの場所にいるのだと知っている。」
 おそらくボルタンスキーは、その答えには全く信用を置いていない。ただ、その問いのあり方を美しいと思っているのだろう。
 ニキ・ド・サンファルが、京都の仏像にインスパイアされた《ブッダ》という作品には感動したが、彼女はこう言っていた。「ひとは、お望みなら、毎日でも、神を変えることができる。」