竹橋の東京国立近代美術館で「大竹伸朗展」が始まった。2006年に東京都現代美術館であった「大竹伸朗 全景」を見逃したのが悔いに残っているので、今回は早々に出かけた。

これだけで、東京国立近代美術館が大竹伸朗に占拠されてる予感がするけど、そりゃまあそういう宣言なんだと思っていいんだろう。
たとえば

ご覧のようにライティングが蛍光灯なのだ。蛍光灯で作品を照らしている美術展なんて見たことがない。つまりは、展示ケースからもう大竹伸朗の作品なのだ。
東京国立近代美術館だし、今回の展覧会も撮影OKだった。最近は撮影可の展覧会も増えてきているが、今回の大竹伸朗展は、写真を撮ってもかまいませんよってことを越えて、展覧会自体がフォトジェニックというか、被写体として魅力的で、被写体としてカメラを挑発しているようにさえ思えた。




展覧会全体がコンセプチュアルに統一されている。
個々の作品ももちろんすばらしい。



デビッド・ホックニーとか、ピーター・ドイグとか、クリスチャン・ボルタンスキーとか、ジョン・ルーリーとか、いろんな作家の作品が頭をよぎるんだけれども、それは、ピカソがドガっぽかったり、セザンヌっぽかったりしても、どこまでもピカソであるのと同じで、あらゆるスタイルが、大竹伸朗という個性に錘を沈めてゆく。
そして、それに音の要素が加わる。

近づくと音が聞こえる。

後ろでポクポク鳴ってるのはまた別の作品。


これはもう大聖堂だな。





アートだろうと思う。ちからわざでアートを再定義させて見せる作家はそんなにいない。

物欲まで刺激する作家は、草間彌生、横尾忠則、大竹伸朗ぐらいかも。
