横浜地検冤罪事件幕引き

knockeye2012-12-16

 きのう書いたとおり期日前投票を済ませたので、よく晴れた日曜日はお気に入りのダウンジャケットなど着て、東京都現代美術館へ、坂本龍一がプロデュースした「アートと音楽 − 新たな共感覚を求めて」、そして、渋谷のユーロスペースで、イングリット・バーグマン主演の「秋のソナタ」を観にいった。
 しかし、その話のまえに、ひとことふれておきたいのは、横浜市立小学校への襲撃予告がパソコンの遠隔操作で行われ、警察が一般市民に無実の罪を着せた冤罪事件について、警察は14日、つまり選挙の直前だが、検証結果を発表し、そして、これ以上の検証は行わないと、幕引きを宣言した。
 その検証結果だが、そもそも誤認逮捕であった少年が、容疑を認めただけでなく、脅迫文の内容や小学校を選んだ方法、また、ハンドルネーム「鬼殺銃蔵」の漢字とその由来を正確に上申書に書けたのはなぜかについて、少年は誤認逮捕発覚後の県警の再聴取に、「ハンドルネームなどは事前に取調官に見せられたので知っていた」と説明しているのに、当の取調官はハンドルネームについての供述を得るために「『鬼殺銃蔵』とはどういう意味なんだ」と口頭で尋ねたと回答し、資料などは見せていないといっていて、ここで取調官と少年の供述が食い違っているが、「鬼殺銃蔵」と正確に書いた上申書が存在しているのだから、どちらの言い分が正しいかは、どんなバカでも分かる。
 ところが、今回、県警が公表した検証結果では、
「少年が漢字を正確に書いた理由は不明」
で片付けられている。
 こんな報告書が報告書として通るのは、神奈川県警や横浜地検くらいのものだろう。日本中どこに行っても、こんな報告書は受理されない。それとも、日本の警察官は、この報告書のどこが不備か分からない程度におつむてんてんなのか。
 そして、警察のやり方の唾棄すべきは、こんな報告書を発表するのに、選挙の直前をねらったことである。その態度の不誠実さに、彼等が反省もしていなければ、検証するつもりもさらさらないことがよくあらわれている。
 そして、このようにあきらかな‘冤罪事件’を‘誤認逮捕’としか表現しないマスコミも、選挙を口実にこれを黙殺するだろう。
 こうした、マスコミと官僚、そして既得権益の強固な癒着にメスを入れて、膿みを出さないかぎり、この国の社会は、持続可能で健全な循環にと向かっていかない。
 この国のテーマは依然として「脱官僚」だということをはっきりさせておきたい。無実の罪を着せられた少年の姿は、鏡に映った明日のわたしたちなのである。