「もしも建物が話せたら」

knockeye2016-07-16

 気がつくと、先週の「ラストタンゴ」に続いてまたヴィム・ヴェンダースになっているが、「もしも建物が話せたら」といって、これはWOWOWの国際共同制作プロジェクトで、6人の監督が6つの建築に声を与えたオムニバスの映像作品。
 ヴィム・ヴェンダースは、2010年のヴェネチア・ビエンナーレで、ロレックス・ラーニング・センターをモチーフに「もし建築が話せたら・・・」という映像作品を出していて、それは翌年、東京都現代美術館で開催された「建築、アートがつくりだす新しい環境 ー これからの感じ」でも見ることができた。ただ、あの時はフィオナ・タンの作品の方が断然面白かった。
 今回のを観るまで忘れていたが、もし憶えていたら、高をくくってパスしたかもしれなかった。今回、ヴィム・ヴェンダースがモチーフに選んだのは、ベルリン・フィルハーモニック。2011のより断然よくなっているし、製作総指揮として他の人たちも巻き込んだのは、たぶん手応えがあったためだろうと推測する。
 ちなみに6人の顔ぶれと6つの建築、そして6人の建築家はそれぞれ
ヴィム・ヴェンダース ヴェルリン・フィルハーモニック ハンス・シャロウン
ミハエル・グラウガー ロシア国立図書館 エゴール・ソコローフ
マイケル・マドセン ハルデン刑務所 ハンス・ヘンリック・ホイルン
ロバート・レッドフォード ソーク研究所 ルイス・カーン
マルグレート・オリン オスロ・オペラハウス スノヘッタ
カリム・アイノズ ポンピドゥー・センター レンゾ・ピアノリチャード・ロジャース
 ヴィム・ヴェンダースが監督したヴェルリン・フィルハーモニックは、なんといってもベルリンフィルなんだし。

 ベルリン・フィルについては、小澤征爾が4月にベルリン・フィルを指揮したとき、随行した村上春樹のレポートが文藝春秋の6月号に特別寄稿されている。

文藝春秋 2016年 06 月号 [雑誌]

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  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/05/10
  • メディア: 雑誌

 そのとき、小澤征爾が控え室に使った「かつてはヘルベルト ・フォン ・カラヤンがオフィスとして使っていた部屋だった 。今は常任指揮者であるサイモン ・ラトルが自分の居室にしている 。真ん中にスタインウェイのグランド ・ピアノが鎮座している 」部屋がそのまま、もちろん、サイモン・ラトルも込みで見ることができる。
 また、「このホ ールは一九六三年に竣工した 。ヘルベルト ・フォン ・カラヤンも設計に深く関わっている 」という、カラヤンが起工式で槌を打つ映像まで見ることができる。
「客席はステ ージと向かいあうのではなく 、ステ ージのぐるりを段々畑のように緩やかに取り囲んでいる 。いわゆるワインヤ ード (ブドウ畑 )方式 。観客と演奏者が一体となったような趣があり 、ホ ールが大きいわりに 、なんとなく親密な雰囲気が生み出されている 。」と村上春樹は書いている。
 ハンス・シャロウンは、ナチス政権下では、「退廃芸術家」の烙印を押され、一切の設計を許されなかった。その反動がこの建築にないなどとは信じられない。
 村上春樹が「観客と演奏者が一体となったような趣き」というのは、演奏者を取り巻いている客席は、オーケストラとほぼ同じ人数ごとのブロックになっている。それが、規模が大きくてもオーケストラと客席が一体感を持てる秘密かもしれない。しかも、客席がオーケストラに向かう角度がちがうため、すべての客席で音が違って聞こえるそうだ。
 俯瞰してみると指揮台がホールの中心にある。カラヤンの思想を感じるが、その思想は音楽の思想で、そういう常任指揮者を選ぶのはオーケストラの投票である。理想的に民主主義が機能しているのは、現に音楽があるからだろう。
 こうして現実に機能している民主主義の実例を目の当たりにすると、頭がシンプルになる。国民が築いてきた平和と繁栄に寄与する指導者を選ぶべきなのだ。それがカラヤンのようかラトルのようかは二次的なことだろう。

 ロシア国立図書館についてのこの作品がミハエル・グラウガーの遺作になった。
 ノルウェー再犯率の低さで知られているらしい。ハルデン刑務所で

受刑者がこういうことをやっているのを見ると、ちょっとクスッとなる。
 今回のオムニバスで、建築として一番圧倒されたのは、ソーク研究所だった。

塊りとしての建築と余白としての空間のバランスが美しい。

 ジョナス・ソークは、ポリオ・ワクチンでポリオを撲滅したが、特許について尋ねられると、「特許などない。太陽に特許がありますか?」と笑っていた。
 ある日、ソーク研究所の予定地に立って、ソークはひどく不幸な気分になり、もう一度一から設計をやり直すことにした。ルイス・カーンはその依頼に答えた。この建築は完成に抗っているように見える。常に未来に開き続けているように見える。
 「声をかくす人」、「ランナウェイ 逃亡者」のロバート・レッドフォードがこれに反応するのはよくわかる。60年代、70年代にも、もちろん、いいことも悪いこともあったが、良いことのすべては開かれていた。
 60年代に、生物学者と建築家が垣根を越えてこうして思想を表現できたのに、今、世界のあちこちで、人が個人であることを捨てて、得体の知れないものに帰属しようと群れ集まっているのは、醜悪な眺めだ。

 スノヘッタの設計したオスロのオペラハウスも美しかった。ダンサーたちの鍛錬されたパフォーマンスも観られる。

 パリのポンピドゥー・センターは、今、東京都美術館に展覧会が来ていて、近々出かけるつもりにしている。