『こころ』で読みなおす漱石文学

knockeye2013-09-07

 石原千秋というこの著者が、文藝春秋に書いていた、村上春樹の『ノルウェーの森』と夏目漱石の『こころ』を比較して論じた文章がおもしろかったので。
 夏目漱石の『こころ』という小説は、ツッコミどころはありつつ、つかみどころがないなどといいつつ、漱石の小説で何がいちばん好きかと言われれば、私の場合は、まず、『こころ』で、次に『道草』『明暗』だとおもうけれど、芥川龍之介の文章には、当時、彼らの世代が魅了されたのは、なんといっても『それから』の代助だったとあって、そうなのかなあとか思ったりしたものだった。
 芥川龍之介を、森鴎外夏目漱石と並べてみて、若い頃不思議に思ったのは、書いているものを見るかぎり、ディレッタントな感じとか、短編小説家としての資質とか、素人目には森鴎外に近い感じがするのに、漱石の弟子であるだけでなく、どうも、鴎外に反発しているらしい気配を感じるのはなぜなんだろうということだったけれど、それは、20世紀末の時点からふりかえったとき,そう思うだけで、当時の青年にとってみれば、夏目漱石の存在は決定的だったんだと、この本を読んで納得した。
 というより、‘青年’という概念自体、漱石の小説がなければ、当の青年たち自身がその内容をイメージできなかったかもしれない。その意味では、若者が世代的な共感をもって主人公に自己を重ねる読み方をする小説の、漱石は、最初で最大の作家だったかもしれない。漱石とは何かと考えるとき、そうした,同時代の熱狂を常に視野に入れているのが、この評論のエキサイティングなところだ。
 しかし、漱石の小説全体を売り上げでみると、戦前までは『こころ』はあまり売れた小説ではなかったそうだ。漱石と言えば、むしろ、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』だったが、戦後になると『こころ』の売り上げが急成長し、ダントツの一位になる。ところが、旧制高等学校の生徒たちだけには、当初から『こころ』がもっとも好まれていた。‘青年期’という、彼らが特権的に有していたライフステージが、戦後、教育とともに一般化し、それに伴って、『こころ』という教養も一般化した。
 辻原登が、花柳小説について書いていたことに、「明治に始まる近代小説は、西欧輸入小説の圧倒的影響下に生まれた。西欧小説の主人公たちは、キリスト教の神との対決の中から造形されたものだ」が、日本人にはキリスト教の抑圧がなかった。そこで、神のかわりに対決する他者として玄人のお姐さん方が選ばれた。これが花柳小説であるというのがあった。
 石原千秋

明治になって女性は男性にとって、向き合わなければならない新しい「他者」として「発見」された

と書いている。
 女性に向き合わなければならなくなったのは、男性だけでなく女性も同じだったかもしれない。他者に向き合うことは、自己に向き合うことを含んでいるのだし、むしろ、そのことが本質的であるとすれば、向き合うべき他者が、神であろうと、女であろうと、そこに価値の差はない。個人的意見としては、神よりむしろ女の方が向き合いがいがある。なぜなら、そもそも神なんていないんだし。
 『こころ』という小説は、自殺した「K」と「先生」だけでなく、語り手である「わたし」にさきのふたりと同じ重さをおいてみることで、小説としての深みがわかってくるというのは、なるほどそうだなと、ちょっと「あ」と思わされた。「先生の遺書」がクライマックスなのだけれど、小説として、「先生」が語り手ではないという構造が、じつはあの小説の魅力だった。「先生」と「K」が「わたし」の目で見られている,その視点が、あの小説につねに存在している、それがポイントなのだ。そのとき、「わたし」は、たしかに女に向き合っている。「わたし」の手記が書かれている時点で、「わたし」は「先生」を追い越しているのだ。
 『こころ』だけでなく、『坊っちゃん』『それから』『門』『行人』『道草』など、漱石の小説の多くが「相続」をめぐるものだという指摘もおもしろいと思う。とくに、「相続」といっても、たんに財産だけでなく、ハビトゥスとしての趣味の相続に注目して、長男と次男の社会的な意味の違い、そして、それからくる精神的な態度の違いは、漱石の小説を読む上でたしかに有効だと思った。『門』に酒井抱一が出てくるのは憶えていたけれど、『こころ』の先生が、下宿先の床の間の趣味に、ひそかに批判的だったりする記述はまったく見落としていた。江戸から明治にかけて変化し、あるいは断絶していく、そうした趣味のディテールこそ、時代の内容なわけだから、そうしたところまで、さりげなく描き込んでいる漱石という作家の目は、そうとうに包括的だったと思う。遠くまで見通していた。よく引き合いに出されるけれど『三四郎』の最初に出てくる「滅びるね」というセリフが、さらに重く感じられる。