『パンク侍、斬られて候』ネタバレとまでいえない

 石井岳龍監督、宮藤官九郎脚本、綾野剛主演『パンク侍、斬られて候』は、今までのところ、今年観た日本映画のNO.1かもしれない。小津安二郎監督の紀子三部作とどうかと言われると困るが、あちらは封切りが今年じゃないという逃げが効くし、『万引き家族』と比べてどうなんだと言われると、今観たばかりという衝撃もあり、今はこっちの方を推したい気分。
 『万引き家族』で、是枝裕和監督は、樹木希林安藤サクラ松岡茉優を「各世代のモンスター級の女優さんを集めた」と語っていたが、『パンク侍、斬られて候』の男優さんたちも、なかなかすごい布陣。主演の綾野剛に、國村隼(『哭声』観ました?)、豊川悦司浅野忠信永瀬正敏染谷将太東出昌大、渋川清彦、若葉竜也、全員の個性が粒立っている。
 そして、やはり、これは宮藤官九郎の力業だと思うんだが、映画にしろ小説にしろ、ナレーションの問題てのがあって、あるシーンがあり、人物が登場し、その人がセリフを言う「」の前後にナレーションがあるとして、その声の主の視点がストーリー全体を見通している目であるという意味で、それは誰の声なのかがすごく重要になってくる。
 たとえば、青山真治監督の『共喰い』のナレーションは光石研だった。主人公は菅田将暉少年であったから、その父親役の光石研の声がナレーターなのは、その後のストーリー展開を考えると、衝撃的というか、ストーリーに遠近感と深みを加えていた。
 この映画は、脚本の宮藤官九郎なのか、監督の石井岳龍なのか、あるいは原作の町田康なのか知らないが、ナレーションとセリフ、ナレーションと役者の所作が、分離したりシンクロしたりする(と抽象的な言い方しかできなくて恐縮だが、観てもらうと「これのことか!」と分かることだが、ただ、さまざまなスタイルで反復されるので、いちいちを書いていたら、シナリオ採録みたいになってしまう)。この仕組みがいったん世界を解体することで、この摩訶不思議な世界に私たちを引き込んでいる。
 たとえば、文楽のことを考えてみても良い。文楽でお芝居をするのは人形だが、人形遣いも観客に見え、セリフを語る大夫も観客に見え、セリフの書いている本までまる見えなのだが、それが観客の観劇体験を損ねることにならない。セリフと所作を分離抽出することで、むしろ、それぞれの純度が増す。
 猿回しがキーアイテムとして使われているが、それは間違いなく偶然じゃなく確信的である。東出昌大の堅物の殿様が猿回しという芸を全く理解しない。その晩に、豊川悦司國村隼の2人の家老が和解する、その時の、ナレーションとセリフのシンクロするシーンを是非みてもらいたい。
 また、浅野忠信の演じるカルトのカリスマの、『淵に立つ』とはガラリと変わった怪演を支えているのが、セリフは浅野忠信本人ではなく、顔を隠した2人の従者から棒読みで語られる、その構造である。
 セリフそのものもすばらしい。「パンク侍」っていってる時点で時代考証を考慮するつもりがないのは明らかだが、奇を衒った印象はない。むしろ、時代劇がその最初から内に抱えているキッチュさを思い出させてくれる。
 『KUBO』や『犬ヶ島』といった、海外の作家が日本を舞台にとったファンタジーの秀作があいついで公開されたが、日本を舞台にするならここまでやらなきゃねと、ひそかに納得してしまう。
 今の時代に対する風刺ってことは別にないと思う。そうとろうと思えばとれるだろうけど。そんな白けたパス回しを観客に見せる石井岳龍監督ではなさそう。ただただ面白い。
 脚本の宮藤官九郎は、週刊プレイボーイみうらじゅんとの対談を連載している。今週は、ひょんなことから、この映画の話題になってて、「どれくらいヒットするかはわからないですけど、でも公開前から勝ってるんです、あんな映画撮っちゃった時点で(笑)。」f:id:knockeye:20180701103738j:plain