江藤淳の「国姓爺合戦と国家意識」が今のネトウヨを予言していて面白い

 本居宣長ってのは伊勢の人だった。当時、おかげ参り、抜け参り、お札が天から降ったと言って、人が押し寄せていた伊勢の人だ。
 お札が天から降るか?。誰か(おそらくは伊勢神宮御師)が撒いたに決まっている。しかし、そう知ってか知らずか、伊勢参りに殺到する、そういう日本人を間近に見ながら「大和魂」とかなんとか言いつつ古事記の解説を書いてたのが本居宣長だ。
 確か、上田秋成本居宣長に言ったのは「あのな、地球儀をよく見てみな?、これが日本だぞ、これが世界の中心か?」ってことだった。身もふたもない真実だが、本居宣長は弟子がいっぱいいる学者先生なので、何だかんだ言ってやりこめた。右翼がありがたがるはずなのである。
 お伊勢参りに押し寄せた民衆は、また、近松門左衛門の『国姓爺合戦』に熱狂した民衆でもあった。清朝に対して明朝を復興しようと最後の抵抗を試みた鄭成功が、主人公「和藤内」のモデルである。日本人と中国人の混血児だった鄭成功を「和でも唐でもない」ともじっている。
 史実における鄭成功よりも、「韃靼人」から中国を取り返そうとする「和藤内」は、近代、欧米列強から中国を「解放して」満州国を打ちたてようとした石原莞爾そっくりだ。石原莞爾日蓮主義者だったし、その日蓮は、題目を唱えなければ日本は蒙古に攻め滅ぼされるぞ、と言った人なのである。「石原将軍の後ろを歩けば弾が当たらない」と噂しあった、当時の日本軍兵士たちは、「お札が天から降った」とお伊勢参りに殺到し、『国姓爺合戦』の主人公に熱狂する江戸時代の庶民そのものじゃないだろうか。
「かたじけなくも大明国は、三皇五帝礼楽をおこし。孔孟教えをたれたまい、五常五倫の道今に盛んなり。天竺には仏因果を説いて断悪修善の道あり。日本には正直中常の神明の道あり。」
これに対して
「韃靼国には道もなく法もなく、猛きものは上に立ち弱きものは下につき、畜類同前の北狄、俗呼んで畜生国という」
「鬼畜米英」って言ってましたよね、右翼の人たち。
 和藤内の活躍ってのがまた面白くて、
「和藤内、虎の背をなでて、うぬらが小国とてあなどる日本人、虎さえ怖がる日本の手なみ覚えたか!。」
いやいや・・・
「・・・わが家来になるからは日本流にさかやき剃って元服させ、名も改めて召し使わんと、さしぞえの小刀はずさし、これも当座の早剃刀・・・」
 江藤淳はこう書いている。
「和藤内の行為を実際の対外政策に翻訳してみれば策の下なるものであることはつけ加えるまでもない。日本人は満州国に神社を建てて皇帝溥儀に嘲笑され、朝鮮人に創氏改姓を勧めて憎悪を買った。」
「しかし、それにもかかわらず、あたかもこれらの愚行を予言しているかのような『国姓爺合戦』に興じていた観客は、和藤内の奮戦ぶりをみていて幸福になったのである。」
 ネトウヨくんたち、今夜はシアワセかい?。
 もう一度引用することになるが、
「私はこういう和藤内の姿に、日本人の不幸の投影を見ないわけにいかない。それは、自らの感情の充足と、"普遍的"原理の受容とのあいだにいつも背馳するものを感じつづけなければならなかった民族の不幸である。あるいは中国文明という巨大な自律した文明の周辺にあって、つねにそれとの対比の上で自分を眺めなければならなかった民族の感情生活に生じたひとつの緊張である。外圧が加わったとき、この緊張は極点に達し、逆に現実には決して存在し得なかった幻影の国家ーーー自足した、感情生活の充足がそのまま“普遍的”な原理の確認になるような国家を夢みさせた。そして、現実世界を律する朱子学的秩序の枠をぬけ出た江戸期の日本人がこの幻影の国家を追い求めて行くと、彼らは「伊勢」に出あったのである。」

 このような「国姓爺合戦の国家意識」に「藤原惺窩 の『舟中規約』に見える国際感覚」を比較して、江藤淳
「江戸期に形成された朱子学的秩序と、その中に生きる人々の心情の奥底に封じられた衝動とのあいだの距離を痛感しないわけにいかない」
と書いている。
 『舟中規約』とは、安南貿易に従事していた門人吉田素庵のために藤原惺窩 が書いたものである。
「異域のわが国におけるは、風俗言語を異にすると雖も、その天賦の理、いまだかつて同じからずんぱあらず。その同を忘れ、その異を怪しむとも、少しも欺詐慢罵するなかれ。・・・もし他の仁人君子を見れば、すなはち父師のごとくこれを敬い、以てその国の禁諱を問いて、その国の風教に従え」
 たしかに、和藤内の大暴れとは大きく違う。
 このお伊勢参りの狂気は、明治維新後の廃仏毀釈の暴虐行為につながっていくと見える。これが皮肉だとおもえるのは、林羅山は『羅山文集』のなかで山伏が仲間をリンチする行為を激しく非難しているが、明治維新後は仏教徒神道の連中からリンチされる羽目になるからだ。しかし、山伏は仏教徒と言いながら、それこそ神仏習合仏教徒であり、そう考えると、いつの時代も暴力的なのは神道なのかもしれない。もともと、原始宗教であるにはちがいない。
 それに関しては

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか (文春新書)

という本を読んだので、これについてはまたいつか書きたい。