『日本は「右傾化」したのか』

 こないだの小熊英二の日本記者クラブでの分析があまりに鋭かったので、これを買って読んでみた。
 日本人一般が右傾化したといえるデータはほとんどないそうだ。ただ、自民党は右傾化したと言って間違いなさそうで、その結果が今後国民生活に降りてくる可能性はある。
 現に今も、女性の社会進出、夫婦別姓同性婚、外国人の受け入れなど、実は、単に経済生活の上からも改善されるべき問題が、国民一般はそれを望んでいるにもかかわらず、自民党の右傾化のためにそれが実現しないという齟齬をきたしている。これはかなりやばい。
 今は、統一教会日本会議による自民党汚染が可視化されているので、この本が出版された2020年よりさらにやばいと感じる。ヒトラーが首相の座に着いた時、ナチ党の議席は3分の1にも満たなかった。ナチの責任をドイツ国民全般に負わせるわけにはいかない。当時のドイツ国民がナチ化したわけではなかった。しかし、その後の一年半でヒトラーは議会政治を葬り去った。
 その時、標的にされたのはユダヤ人ではなく共産党だった。勝共連合なんて、「まだ、いたんだ?!」って感じがしたが、どう考えても東西冷戦の亡霊だろう。それを言えば、日本会議は太平洋戦争の亡霊な訳だから、日本人の変化に対応できない弱さみたいのがよくわかる。マスクと患者の全数把握もいつまで続けるんだろうって感じ。ところが、その亡霊が現実の政治を動かすのだから笑えない。
 ネトウヨはネット民の1%程度、そのシンパは国民全体でも5%程度と言われている。しかし、それが政治を動かす惧れがある。声のでかいバカに注意する必要がある。冗談ではなく、今回の山上徹也のテロに感謝しなければならないかもしれない。暗殺直後は全マスコミが統一教会の名前を出すことさえ憚っていたのである。そんなマスコミに言論を語る資格があるだろうか?。声のでかいバカとダンマリを決め込むマスコミによって政治が捻じ曲げられているのが現状ではないだろうか。
 そういうマスコミが「国民の右傾化」を口にするのであるが、これは振り返ると、自民党が選挙に勝つたびにそう言われてきた歴史があるそうだ。実際には、政権交代選挙まで野党が勝ったことは一度もないわけだから、その間の自民党の票の増減を「国民右傾化」に責任転嫁されてきた訳であった。そして、記憶に新しいだろうが、民主党が下野すると、また国民が右傾化したことにされている。
 しかし、実は、政権交代選挙で右傾化したのは国民ではなく自民党だった。あの政権交代選挙は、麻生太郎が国民の神経を逆撫でしたせいだったのが事実じゃないだろうか。勝ったといえるほどの主体性は民主党にはなかった。
 だから、民主党政権の運営には慎重さと謙虚さが求められるはずだったのに、田原総一郎に「政策に興味がない」と評される小沢一郎は、選挙に勝つや、今度は党内抗争のために、公然と公約を破棄した。
 そうして、国民の支持を失い、官僚に舐められ、党内は分裂して、民主党は下野した。だけでなく、民主党自体が消えてなくなった。小沢一郎の著書『日本改造計画』はほとんどゴーストライターが書いていたと暴露されるおまけ付きだった。
 となると、再び政権の座につこうとする政党は、それが自民党でなかろうとも、自分たちは民主党とは違うと主張するのは当然だった。つまり右傾化は差別化にすぎなかった。
 もう一度整理すると、小泉純一郎郵政選挙で圧倒的に勝利した自民党が、その後の政権運営で国民の支持を失い、大敗北を喫した。これを勘違いした民主党がさらに政権運営に迷走して、国民の信を失うと、これを国民のリベラル離れだと見なした自民党の中で、極右勢力が急進したという流れである。
 つまり、この間、まともなビジョンを持った政治家はいなくて、票の増減で右だ左だと言いつづけた末に、最終的に民主党が自爆したために、後に残った自民党は差別化として右傾化せざるえなかったということなのである。ちなみに定義に正確になるなら、こういう事態を指してポピュリズムというらしい。
 
 この流れは、以前に読んだ安田浩一の『「右翼」の戦後史』にもよく似ている。
 日本の右翼左翼が欧米のそれとは様相を異にしているとはよく言われる。では、我が国の近代化の端緒となった明治維新とはそもそも右翼左翼どちらなのか?。言うまでもなくどちらでもない。西洋とのコンタクトを機に薩長同盟徳川幕府をひきずりおろしただけだ。そうして始めた近代化は「和魂洋才」と言った。しかし、そんな都合のいい近代化はない。当然、どんどん目新しい思想が入ってくる。このとき入ってきた思想を軒並み「左翼」と呼んだのであった。つまり「和魂」じゃないのが「左翼」だったので、キリスト教から共産主義まで体制に都合の悪いものは全部「左翼」だった。
 他者を「左翼」と呼んだ手前、自分たちは「右翼」と名乗らざるえなかった。こうした経緯で、日本の右翼には思想がなく、左翼には実体がない。戦後は東西冷戦の構造がこれに外から枠をはめるが、選挙の実態は自民党の信任選挙にすぎなくて、実質的な対立軸は自民党内の派閥が担っていた。小泉純一郎が派閥を破壊して執行部に権力を集中した後、政権交代が起こったのは自然だし健全だったのだろう。しかし、民主党政権が迷走し瓦解した結果、その反作用として自民党は右傾化するしかなかった。
 今のところ、右傾化したとはとても言えない日本人だが、ただひとつ、排外主義化しつつあるというデータが気になる。たとえば、2020年の都知事選で日本第一党桜井誠が17万8784票を獲得した。また、「特定の集団に対する差別発言を取り締まる法律を制定すべき」との意見に対して肯定する人が25%、否定する人が30%だったそうだ。ただ、これは2013年(10年前)の調査ではあるが。
 しかも、この排外意識はほぼ韓国に向かっているそうだ。一時期は中国に対しても強い排外意識があったようだが、それは、思ったほど長続きしないものらしい。
 これは一方では分かりすぎるほどわかる。個人的には、慰安婦問題で、いかにも人権問題を扱っているかの態度をとりながら、実はショーヴィニズムにすぎないのが見え見えなのに、日本国内の左派勢力がこれにあっさりと乗せられてしまうという愚かしさ。しかも何度合意してもすぐにそれを反故にしていかにもこちらが不誠実であるかのように騒ぎ立てる、その彼らの心理の底にあるものが、今度の統一教会のことでよく分かった。
 旧・統一教会は安倍政権と友好だった、一方で、旧・挺対協は安倍政権と対立していた。ところが、彼らの心の底にあるものは同じだったのである。それについては先日書いたので繰り返さない。

あなたはまだ、真っ黒なものから純白と牛乳と無垢なるものを作りだす魔術師の傑作について、何も語っていないではないか。──彼らの技が洗練をきわめていることに、その大胆で、精緻で、機知に富む、噓まみれの芸当に気づかなかったのか?  よく注意して見るがよい!  復讐と憎悪に満ちたこの地下室の獣たちは──彼らは復讐と憎悪から何を作りだしているだろうか。あなたは彼らの語る言葉を、かつて耳にしたことがあるだろうか。彼らの言葉だけを信用していたならば、あなたはじつはルサンチマンの人間に囲まれていることに気づいただろうか?……
道徳の系譜学』第一論文より

 韓国人全体がこうだとは言えないだろう。しかし、こうしたルサンチマンがもはや彼らの文化になってしまっている。慰安婦問題は、じつは、韓国の右翼と日本の右翼の、歴史修正主義者同士が、お互いのショーヴィニズムを戦わせていたにすぎなかった。問題は、そうした韓国の極右に、日本のリベラルが乗っかったことだろう。彼らには慰安婦問題が、いかにも人権問題、いかにも女性問題に見えた、そこに、彼ら左派の心理のいちばん醜いところが露呈して見えると、私は思う。そして、おそらく多くの日本人にそう見えた。それが、彼らが力を失ったひとつの原因でもあるだろう。
 言い換えれば、冷戦終結でそもそも存在意義を失っていた左派が、右派と同じようにポピュリズムに走った結果、うっかり手を出したのが韓国の極右だった。であれば、ごくごく真っ当な市民層からの支持を失うのは当然だった。
 まあ、韓国はもうどうでもいいが、それを別にしても、排外主義に寛容になっていくのは問題だと思う。名古屋入管のラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさん殺害事件は、日本のホロコーストだと思っている。日本の官僚組織が何の罪もない人を拷問死させたことは心から恥ずかしい。こんな事件を起こした政権がびくともしないのは、まともな民主主義国家ではありえないことだろう。少なくとも、ウィシュマさんの事件を聞いて心震わせなかったような人がリベラルの支持を得られるわけがない。左派の人たちには、左翼に囚われるのをやめて、真っ当な市民の現実の姿を捉え直す努力が必要だと思う。