公明党の非・国民政党化、共産党の国民政党化

 今回の選挙は、天候のせいもあり、投票率55%という全くの無風選挙、しかも、岸田内閣発足直後で、政権の色もない、無風無色の選挙なので、各政党の実力がそのまま出たと言えるのだろう。もちろんその前に55%の投票率が、日本国民の政治に対する姿勢もそのまま表してもいる。
 逆にそんな無風選挙なので、そこでちょっとでも目を引く特異な事例は、なんらかの傾向を示唆していると見ていいんだろう。
 まず第一点は、甘利明小選挙区での敗北だろう。党の幹事長という選挙を取り仕切る立場の敗北には、岸田内閣が人事面で安倍内閣をそのまま受け継いだことに対する、言い換えれば、安倍政治に対する一定の忌避感が見て取れると言えるだろう。
 ちなみに、甘利明の選挙区は私の選挙区でもあり、参議院では三原じゅん子という悪夢のような選挙区だったので、今回の結果には胸を撫で下ろしている。
 第二に挙げられるのは、維新の躍進だろう。維新の会は、なんだかんだ言われながら、結党以来の姿勢がぶれていない。保守陣営の中で、ほぼ極右化した自民党とは一線を画していると評価されて、自民党に批判的な保守票を集めたのだろう。「維新の会」というおどろおどろしいネーミングに目をつぶると、地方政治への取り組みからも、イメージより実はリベラルな党風であることがわかる。
 今後は、もちろん誰もわからないものの、自民党が単独で過半数を維持する実力がある現状では、党の存在意義のためにも、自民との違いを鮮明にしていくだろうし、そうしてきた結果が評価されたとも言えるだろう。
 第三には、立憲民主党の惨敗は、野党間の選挙協力があった上でのこの惨敗だから、この政党がいかに足腰が弱いか、風だのみかを示している。
 まあ、立憲民主党の成立自体が前回の選挙の時の、希望の党結成をめぐるすったもんだの結果であることを考えれば、風が吹かなければ、この程度のことなのはむしろ当然で、これは維新の会の足腰の強さと好対照をなしている。しかし、維新の会もそもそもは橋下徹な立ち上げた地方政党だったことを考えれば、立憲民主党もここからぶれずに支持基盤を広げていく努力をする、よいモチベーションになるだろう。
 勝手に極右化した自民党に対する批判票は立憲民主党に集まりそうなものだが、それは維新の会に向かったようだ。立憲民主党は、もう少し左派と見做されているようだ。野党共闘が奏功したかどうか分かりにくいが、立憲民主党についてはそれが無ければもっと負けていたと見える。左派ということなら共産党の方が支持基盤が盤石だからである。
 共産党は、自民党の極右化のために極左というイメージがなくなった。ソ連崩壊から30年が経ち、日本共産党は国民政党になりつつあるんだろう。
 これに対して、今回の選挙では負けなかったものの(というか、いつも負けないのだが)、公明党は国民政党の立場からは後退したと見えた。全くの無風選挙で自民党単独過半数を獲得する現状で、公明党はいったいそこで何をしているのか?。ほぼ存在意義がわからない。
 公明党が政権内にとどまる間に、自民党はどんどん極右化した。政権内でバランサーの役目を果たしたとみなす有権者はいないだろう。何度も言うように、戦前の日本を泥沼の戦争に導いたのは日蓮主義者たちであった。従来、創価学会は、そうした日蓮主義に対して批判的だとみなされてきたが、極右化した自民党と連携し続ける姿勢は、戦前の日蓮主義を思い起こさせる。
 ちなみに戦争を拡大させた思想的背景であった「八紘一宇」は、日蓮主義者である田中智学の思想であった。その「八紘一宇」を三原じゅん子が公然と選挙で標榜して、池上彰を唖然とさせたのだが、その背景に創価学会日蓮主義化を見ておいた方が良いのかもしれない。
 国民政党であることを諦めた公明党の姿には、日蓮主義者と靖國信者の結託以外の構造は見えてこない。つまり、今回の選挙では、共産党の国民政党化と公明党の非・国民政党化という対照的な構造がみてとれた。一般大衆が共産党公明党どちらに警戒心を抱くだろうか?。繰り返しになるが、公明党が政権でバランサーの役割を果たしているなら、自民党がここまで極右化しただろうか?。
 この公明党共産党のイメージの逆転を第四の注目点として挙げたい。