『限界芸術論』、柳田國男、柳宗悦、宮沢賢治、ヨーゼフ・ボイス

限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

 買ってしばらく放置していた、鶴見俊輔の『限界芸術論』を読んだ。よくある「サブカル最高!」みたいな内容だろうなと思っていたが違った。ファインアートとサブカルを一般には芸術と認識しているだろう。鶴見俊輔が「限界芸術」と呼んでいるのは、もっと辺縁で、それは純粋芸術から遠いという意味での辺縁というよりも、芸術が芸術ならざるものと交じり合う境界の曖昧さとしての辺縁にある芸術を「限界芸術」と名付けている。子供の遊び歌だったり、修学旅行だったり、そこら辺の捉え方の自由さは、現代芸術のインスタレーションやパフォーミングアートを軽く凌駕している。限界芸術論自体は、柳田國男柳宗悦宮沢賢治まで書いて未完に終わっているのが残念なんだが、実際に、鶴見俊輔の言う意味で、意識的に限界芸術を実践しようとしたのは、宮沢賢治しかいなかったと思わないでもないので、刺激的な宮沢賢治論が読めてよかった。宮沢賢治の農村芸術は、アンガージュマンというより、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」という在り方にずっと近く感じられる。柳田國男柳宗悦宮沢賢治と線を結んだ先にヨーゼフ・ボイスが見えるという感覚はスリリングな体感だ。

 『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』という映画について書いたときに、彼の「社会彫刻」という言葉について、それは、フランスの思想家たちの用語の「アンガージュマン(社会参加)」と言い換えられるかもしれないと考えてみたのはほんとのところだった。しかし、「アンガージュマン(社会参加)」と言ってしまうと、いかにも芸術家がどこか社会の外にいて、そこから社会に降臨してくるような感じがする。
 それに対して、ヨーゼフ・ボイスのように「社会彫刻」といえば、石工が岩山から石を切り出すように、「社会」は、面と向かっている世界から芸術家が切り出してきた素材であり、石が彫刻家のノミによってビジョンを手に入れるように、素材としての社会は、芸術家のパフォーマンスによって、はじめて何かになる。
 「社会参加」という言葉では、最初から、社会と芸術の乖離が前提とされているのに対して、「社会彫刻」はそうではなく、芸術家の行為によって、社会と芸術が同時に出現して、お互いを規定しあう。
 ヨーゼフ・ボイスは確信犯的に、社会を挑発し撹乱しようとしたが、このようなスタイルだからこそ挑発と撹乱ができた。いま、21世紀現在のいわゆる「パフォーミングアート」を拝見するかぎりにおいて、「これアートで、あたしアーチストなんで、けして怪しいものじゃありません。もうすぐ終わりますから。おじゃましてすいませんね」とでもいいたげな、小市民的な、あるいはYouTuber的な、毒にも薬にもならないものばかりになるのは、初めから挑発の意志がないか、もし、挑発する意思があったとしても、何が挑発になるのか、言い換えれば、社会という素材のどこに、「挑発」というノミを入れればいいのかがわからないのだろう。
 思えば「社会彫刻」という独創的な言葉がすでに挑発だった。「パフォーミングアート」という凡庸な言葉にとどまりつづけるかぎり、現存の現代芸術家はだれひとりとしてヨーゼフ・ボイスを超えられないだろう。
 たとえば、みうらじゅんのやっているようなことを「これはアートだ」とか、熱弁をふるいたがる傾向がある。しかし、みうらじゅん自身が「アート議論は勘弁」といっている。受け手側としても「アートだからどうした?」という気持ち。おそらく評論家だけが、これはアート、あれもアートと、つまり、アメリカ大陸を発見したコロンブスでありたいのだろうが、アメリカ大陸の発見は、西欧の一方的な視点からの言い方にすぎず、先住民にとってみれば、発見どころか、それは、彼ら自身の社会の崩壊の始まりだった。それは、ヨーゼフ・ボイスが≪私はアメリカが好き、アメリカは私が好き≫というパフォーマンスで表現したことでもあった。
 これもアートあれもアートとアートの標本を集めまわって、その実、社会には背を向けているディレッタンティズムが、社会とアートをどこで切り分けるか、社会とアートを分断する、そのナイフの入れ方に夢中になっている現実逃避の姿はグロテスクだ。たとえば、山下清を「日本のゴッホ」とか言ってみる態度である。山下清の絵は私も好きだ。たしかに、点描派に分類できないではないかもしれない。が、ゴッホではない。山下清というまったくオリジナルな画家をゴッホという西洋絵画史の画家になぞらえてみなければ何かを分かった気がしない、そうした、自己本位の価値観を完全に抹殺しようとする態度はどこから来るのかといえば、単なる西洋コンプレックスというよりも、そうした自己の価値観が他者と確かにつながっていると感じられる社会の存在を信じられないからである。それがグロテスクなのだ。
 未知の絵ををよいと思う直観でさえも、子供のころからしっかり勉強して身につけた西洋美術史の文脈でしか言い表すことができない。そんなサブカルのカリスマならいくらでも名をあげることができるだろう。ところが、西洋の美術は西洋の美術で、彼ら自身の社会に根を張っているので、日本のゴッホ、日本のピカソ、日本のダ・ヴィンチなるものに何の興味もなくて当然、むしろ、19世紀のパリで日本の浮世絵がウケたのは、そこに江戸っ子という都市生活者のリアルが活写されていることが、アカデミズムにがんじがらめにされて、現実社会とのつながりを失っていた彼らのアートの在り方にくさびを打ち込んだからであった。浮世絵はフランスでアートを社会にアンガージュさせる契機となった。それが最も重要なことのはずだった。
 いま、アートは社会にクサビをうちこんでいるだろうか。アンディ・ウォーホルのようにどっぷりコマーシャリズムにつかるというやり方もたしかにあった。しかし、その場合、コマーシャリズムが社会と乖離したときどうしようもなくなる。そういうとき、芸術が発生した限界芸術の領域まで戻ってアートと社会をつなぎ合わせることが可能ではないのかという提案は今でも力があり刺激的だと思う。