投票と暗殺のめぐりあわせ

 明日、展覧会を予約したので、今日、期日前投票してきた。そのとき、昨日の安倍晋三の暗殺と、この投票と、どちらが有意な行動だろうかとふと疑問に思った。
 正直言ってこれといって投票したい政党も政治家もいない。ただただ民主主義のために投票しているだけである。でも、単に民主主義のためという観点からにしても、昨日の暗殺と今日の投票のどちらが有意だろうか?。
 安倍晋三という人は、岸信介という第二次大戦の戦犯から政治的基盤を受け継いだ人である。安倍晋三という政治家が民主主義を体現する存在でなかったのは間違いないし、彼自身おそらく民主主義を軽んじていたに違いない。長いスパンで見た場合、安倍晋三を殺すことは安倍晋三に投票することより民主主義的であったかもしれない。
 また、安倍晋三は国民に愛国心を教育しようとしていた人であった。しかし、彼を殺した山上徹也容疑者の行為は、死を賭して政治家に鉄槌を加える、まさに愛国者のそれであった。安倍晋三氏の推し進めようとした愛国教育を先取りしたかのような事件だった。
 山上徹也氏が「元総理の政治信条への恨みではない」と供述していると、誰も聞かないうちに奈良県警が発表したのには笑ってしまう。というのは、謀反ではなく仇討ちだったと決めつけられて処刑された『鎌倉殿の13人』の、曽我兄弟の回そのままだったからだ。参院選の応援演説中のテロという大失態を考慮すれば、警察として、犯人の政治声明を真っ正直に宣伝するはずもない。
 この日曜は選挙特番でちょうど『鎌倉殿の13人』が休みなのである。源頼朝が死んで、これから鎌倉の御家人たちの殺し合いが始まる、その前に、安倍晋三が殺されたというわけ。何というタイミング。しかも、あの鎌倉殿の御家人たちの血筋を辿ると、結局、今の政治家たちにつながらないでもないという、日本という国はそんな古い国であった。
 石原慎太郎氏などは、東日本大震災を「天罰」と言った。ほぼ源頼朝と同じ思想の持ち主だった。また、麻生太郎氏などは「弱いのがいじめられる。強いやつはいじめられない。」と発言したばかり。その発想から安倍晋三氏にかける言葉をさがしてみてほしい。どうなるかな。
 「弱肉強食」の肯定は当然、弱いものが強いものを倒す「下剋上」の肯定でもある。麻生太郎氏の思想を肯定すれば、安倍晋三氏は殺されて当然ということになるだろう。殺されたやつが悪いというしかない。これは私の意見ではなく、麻生太郎氏の思想からすればそうなるねというだけなので、文句は麻生太郎氏にね。
 もうひとつ別のタイミングを言えば、これもまた皮肉というしかない。ちょうどこの日、元TBS記者の山口敬之のレイプが、最高裁で確定された。この山口敬之が安倍晋三氏の伝記記者であったことは間違いなく、そして、山口敬之に対して出ていた逮捕状が逮捕直前に握りつぶされたこともまた間違いなく、そして、その逮捕状を握りつぶした中村格が安倍政権下で警察庁長官に就任したことも間違いない。この3つの事実を後世の歴史家がどう推論してどう結論づけるかに、頭をひねるほどのミステリーはない。
 それで、はたと考えてしまう。暗殺と投票とどちらが政治的に健全なのかと。真っ当な投票行為の結果、世襲議員創価学会が政治を支配するだけなら、『鎌倉殿の13人』ではないけれど、もう1ダースほど政治家を暗殺した方が政治を動かせるのではないか。だとしたら、ちまちま投票している方が怠慢なだけで、暗殺を実行した山上徹也氏の方が民主主義のために有意義な行動をしたことにならないか?。
 伊藤博文を暗殺した安重根は韓国では英雄である。その伊藤博文だって明治維新の動乱で何人殺したか分からない。現時点では、お葬式のご挨拶よろしくゴニョゴニョ言っている世論だが、100年後と言わず、50年後、10年後でさえどんな評価になっているかな。