『ぼくは君たちを憎まないことにした』

 最近観た映画で泣けるって意味ではこの映画が一番だろう。
 ただ、残念ながら他に言うことがない。
 ある日街を歩いている主人公に女の子が近づいてきて
「代弁してくれてありがとう」という。
 フランスが、あのテロの直後、イスラモフォビアからなる憎しみの連鎖に陥らなかったのは、この主人公の宣言があったからだと思える。
 それは、イスラエルパレスチナのおそらく永遠に終わらない殺し合いを見るにつけ、更に深くそう思う。
 ライシテと呼ばれるフランスの世俗化の取り組みがその背景にはあると思う。単に、ユダヤ教イスラム教に対するキリスト教の優位といった19世紀的な(あるいは18世紀的な?。その辺は吉田健一の、『ヨオロッバの人間』なんかを参照してほしい。)価値観ではなく、宗教を相対視できているかどうかなんだと思う。というのは、キリスト教にしたところで、原理主義的になるとトランピアンのようになってしまうので。
 日本では宗教の世俗化ってことが結構早い段階で起こった。親鸞がそれだと思う。吉本隆明は「親鸞は宗教を解体した」と表現していた。
 私は浄土真宗門徒であるが、すべての宗教が迷信であることに同意する。親鸞
「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。」
と言った。
信者にしてみれば「ワシわい?!」ってことになるが、つまりは、すべての宗教的体験は個人的な体験にすぎないと言ったわけだろう。
 親鸞にとっては、誰かが浄土真宗というセクトに属しているからといって、それだけでは何の意味もなしていないことがわかる。
 これが後世に現実に機能しているかどうかは判断が難しいが、こういうフランスの例を見ると、文化的な命脈が伏流水のように流れていて、それが折りに触れて溢れ出すことはあると思わされる。
 YouTubeオスロ合意当時のイスラエルの外交担当という人のインタビューがあって、その中で印象的だったのは、
「自分たちの土地は神が与えたものだと信じる人たちが平和を台無しにしてしまった」
と発言しているところ。
 旧約聖書にあるこの辺りの記述については繰り返さないが、もしあのままのことを根拠として土地の権利を主張しているなら、ユダヤ人ってどうなんだろうと思っていたので、やっぱり頭がまともな人が物事をすすめるとまともな結果になるとわかってホッとした。
 イスラエルって国は別に神が与えたわけではなくて、国際的な取り決めで、国際的な信頼の上に築かれているってことを忘れてもらいたくない。
 国際社会が認めた国境線を踏み越えて勝手に国土拡張はできない。このままの身勝手が許されるとは私は思わない。


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