『正欲』『市子』『隣人X -疑惑の彼女-』まとめてネタバレ

 この3作品を並べて評するに意味があるかどうかようわからん。
 でもまあ、立て続けに観ちゃったから、何となく共鳴する。3作品とも孤独な女性のストーリーとして観ちゃった。だから、『隣人X -疑惑の彼女-』も、上野樹里が演じる柏木良子の物語として観ちゃった。ので、穴だらけ、粗だらけのプロットという世評にはまったく同意するものの、案外楽しく観られた。
 ある意味では非現代的な価値観と言える「教養」を持ち合わせながらも、宝くじ売り場とコンビニをかけもちしながら暮らしている36才の女性。その存在感を上野樹里がすごくうまく表現していた。
 彼女のキャラクターに心奪われて、このキャラクターが生きる設定なら、前提のアラはまあ目をつぶろうという気になる。
 プロットのアラについては、YouTubeのシネマサロンで、何もそこまで言わなくてもってくらいにこきおろしているので、そちらを参考にされるとよい。おそらくすでに鑑賞された方ならなおさら、肝胆あいてらす感を抱かれることだろう。
 映画の設定をかいつまんで言えば、Xてふ異星人が紛争で故郷の星を追われて、地球人になりすまして暮らしている、そして、そのことがようやく世情を騒がせはじめた頃の日本が舞台なのである。
 林遣都が演じる笹憲太郎は非正規雇用のライター。働いている週刊誌が「X」の特集をやることになる。契約を切られそうな彼は無理な取材を重ね、柏木良子がXなのではと彼女に接近して正体をつかもうと試みるが・・・って、こういう設定なんで、この映画をすでに観た人ならわかってもらえると思うが、このプロットそれ自体は魅力的でさえある。
 問題は何かというと、笹憲太郎が無理しなければならないところで、シナリオの方が無理しちゃった。「こいつ無理な取材してんな」って観客に思わせなきゃならないところで、「このシナリオ無理だろ」って思わせちゃう。
 映画を観終わって不思議に思うのは、最後の方になって、どうやら「X」には正三角形に並んだホクロがあるらしい(『クラウドアトラス』のパクリではある。ということは『豊穣の海』のパクリ)と仄めかされるのだけれど、じゃあ、笹憲太郎が柏木良子に疑いを抱くキッカケはそれでいいじゃん。
 ところがシナリオでは、嶋田久作の演じる編集長が「こいつらがXの候補者だ!」って茶封筒をドサッ。誰が考えたって無理でしょ。
 他にも「Xは電波塔の近くに住んでいるらしい」とか、映画内で言及してる。じゃあ、そんな具合にいくつかの条件に取材対象がだんだんはまっていけば、その方がスリリングじゃないですか。
 そういうのってミステリーでも、恋した人が実は殺人犯なのかそうでないのかって揺れる感じとか、コミカルにもスリリングにも味付け自由、何なら王道でさえあるのに、なぜそうしなかったのか理解に苦しむ。
 というか、シナリオのその拙い感じを、林遣都上野樹里の演技でカバーしていた感さえあった。
 だから、「実はXは、自分がXであることを忘れている場合さえある」ってなった時に、林遣都の方がXなんだろうなって予想はついた。
 それはでも途中でわかってもいいわけで、林遣都の勘違いで強引な行動が、わだかまりから疎遠になっていた上野樹里と酒向芳の父娘関係を引っかき回してゆく、その感じがこの映画の1番の魅力だとわたしは感じた。
 シナリオに決定的な傷はあるのだけれども、ちょっと小洒落たラストともあいまって、わたしはこの映画何となく好き。
 でも、こういう異星人ものでいえば『散歩する侵略者』、『美しい星』をお勧めします。
 
 『市子』はちょっと重め。個人的には、先に『法廷遊戯』を観ていたので、連続して杉咲花の殺人を見せられることになった。杉咲花の演技力で魅せられるけれども、というか、杉咲花の演技力が高いからこそ、ちょっときつい。
 「無戸籍者」ってのは10,000人もいるそうだ。市子の無戸籍であることの虚無感は、『法廷遊戯』の織本美鈴の闇とはまた違う。『法廷遊戯』はどこまでもパズルだと思う。
 入管法改悪反対のデモの時に、在日のラッパーの方が言っていたことには、在特会のヘイトデモなんかに対して抱く感情は怒りではないそうだ。変に冷静に「そりゃそうだわな」みたいに思ってしまうそうなのだ。確かに怒りはわずかでも希望がある人の感情だと思った。
 仏教の方では怒りは「瞋」といい三大煩悩のひとつだが、三大煩悩のもっとも根本のものは瞋ではなく無明だと言われている。仏教の煩悩はキリスト教の罪ではない。だから、貪欲や瞋恚よりも無明が根本の煩悩とされている。
 横山やすしの自伝を読んだことがあるが、彼はずっと後年になるまで、自分の母親が誰か知らなかった。後に実の母親が分かった時に「やっぱりおばちゃんが俺のお母ちゃんやったんやな」と言って泣く。
 北大路魯山人も長じるまで自分の出自を知らなかった。魯山人は実の母親に冷たくあしらわれたように記憶しているが、横山やすし北大路魯山人、この二人の性格ってどこか似ているように思いませんか。過剰に真摯で過剰に愛情を求めている。
 市子は無戸籍だけでなく、少なくとも2人を殺しているが、ひとりは安楽死、もうひとりは過剰防衛で、この2つはどちらも未成年時の犯罪だし、同情できると思う。
 意見が分かれているのは、森永悠希の演ずる北秀和の件なんだけれど、市子は最後に死んだのか、死ななかったのか?。映画のラストが、歩いている市子で終わっているので、何となく、北秀和ともう一人の女性を偽装心中で殺したように思えてしまうが、映画が時制通りに描かれていないのは明らかであるかぎり(ていうか、ラストは、プロポーズしてくれた長谷川(若葉竜也)の家を出た時の服装のまま)、あの後に北秀和とのエピソードがあったとも考えられる。
 だとしたら、市子は死んだ可能性もある。一方で偽装心中を企てた可能性もある。しかし、すぐにバレるそんな偽装に意味があるかどうか。
 ある意味、オープンエンディングと言える形で終わっているのもうまい。色々と考えさせられた。

 『隣人X』上野樹里、『市子』杉咲花、そして『正欲』は新垣結衣が新境地かと。ちょっとショックを受けてるファンもいるかも。
 昨今のLGBT映画を観ていると、異性愛者はまるで少数派みたいに肩身が狭くなるが、この映画で描かれている新垣結衣磯村勇斗は文字通りの少数派。LGBTIQの中の、たぶんQに分類されるのか、水の流れが人工的に曲げられるのに興奮するって人たち。これって実際にいるらしい。
 実際にいるらしいって、私は子どものころ、同性愛についても、実際に存在するとは思っていなかった。タイムトラベルとかパラレルワールドみたいに面白い作り話みたいに思っていた。男が男を愛するってそんな、キャハハハって。
 そんなわたしの子供の頃のままみたいな考え方の検察官に稲垣吾郎が扮している。想像力が欠如している。これがまぁタイムリーというか、皮肉というか、稲垣吾郎がこの検察官とは。作品にとってはちょっとノイズでさえある。が、稲垣吾郎のキャラクターがこの人物を悪役にしないのは確かで、今泉力哉監督の『窓辺にて』に続いてこれもハマり役だと思う。
 磯村勇斗は『月』『PLAN75』『渇水』『波紋』とよい映画に出まくってる。役者としてかなり実り豊かな季節だっただろう。
 『正欲』はもちろん朝井リョウの原作が優れているのだろうけれど、それを映像作品にする技はまったく別のこと。新垣結衣磯村勇斗佐藤寛太と東野絢香稲垣吾郎山田真歩の3組の男女を上手く出し入れして、モチーフを浮かびあがらせていった。このあたり『隣人X』と対照的。
 台詞のよさが際立っていたように思う。なかでも新垣結衣の最後のセリフは、当人たちがお互いの状況を知らないだけに見事だと思った。
 LGBTIQの中でも最も少数派のQを取り上げたことで少数派の苦悩についての共感を社会的ではなく人間的なレベルで呼び起こすことに成功している。


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