『蟻の王』ネタバレ

 食傷気味というよりもう完全に飽き飽きしているLGBT映画なので、珍しくイタリア映画で、ブライバンティ事件という実話を描いているってことでなければ観にいかなかった。それに「蟻の王」ってタイトルが当然ながら『蝿の王』を思い出させてちょっと魅力的だったこともある。
 イタリアでもつい最近まで同性愛が罪に問われたらしい。といっても、『イミテーション・ゲーム』に描かれているように同性愛そのもので逮捕されるイギリスと違い、「教唆罪」と言って「そそのかした罪」ってことらしい。
 同性愛が罪でないなら、同性愛をそそのかしても罪にならなさそうなんだが、なんかムッソリーニ政権下で、イタリアには同性愛なんて存在しませんって建前をとっていたために、そういう非論理的な法律が必要になったらしい。
 主人公のアルド・ブライバンティは、戦時中はファシスト党と闘ったパルチザンだった。ので、面会に来た記者が「なぜ公判でちゃんと戦わないのですか?」と詰め寄る。戦時下でファシストと戦ったように、今回も差別と戦うべきじゃないのかってことなのだ。しかし、ブライバンティは「ファシストは現実だった。これは茶番だ。」と答えて、裁判でも沈黙を貫いた。
 この辺の気持ちって分かりますか?。わかるような気もする。
 でも、彼の教え子たちが中心になって抗議運動が盛り上がったのは感動的だった。実は、その若者の中にマルコ・ベロッキオ監督もいたそうで、証人として裁判に出廷していたそうだ。
 そういう経緯から、マルコ・ベロッキオ監督からジャンニ・アメリオ監督へ、最初はドキュメンタリー映画を撮らないかという提案だったそうだ。
 当時、ウンベルト・エーコピエル・パオロ・パゾリーニら、多くの文化人が抗議活動を行ったこの事件も、イタリア本国でも今ではあまり知られていないらしく、主演のルイジ・ロ・カーショも
 「映画に取りかかる前は彼についてよく知りませんでした。当時は世論を沸かせた事件でしたが時代のなかで忘れ去られてしまったのです。今回初めて彼が体験した不当な扱いを知り衝撃を受けると共に、同じ演劇人としてなぜ今まで彼を知らずにいられたのかと自分への怒りを感じました。」
と文春のインタビューで語っている。
 この事件で衝撃的なのは、アルド・ブライバンティの側よりも、恋人のエットレの方で、実の家族の手で矯正施設に入れられて、「治療」という名のもとで、電気ショックなど、事実上の拷問が行われて廃人同然になった。
 おそらく当時としては、その方が同性愛者として生きるよりマシって感覚なんだと思う。
 日本でも、同性愛が差別の対象だったこともあるかもしれないが、どちらかというと、寛容な文化だったとは言える気がする。少なくとも「罪」と言われると、個人的にはかなり違和感がある。
 これはやはりキリスト教文化が背景にあるんだろう。特にカトリックでは七つの秘蹟の中に「結婚」が含まれている。これを単純に解釈すると、結婚しない奴はゲヘナの火に焼かれろって意味になる。
 私はあまりキリスト教が好きじゃないのは、なんだかんだで結局は、ユダヤ教から引き継いだ選民思想の要素がちらほら顔を出す。
 同性が好きだろうが異性が好きだろうがほっといたれや。と思うがどうでしょう。
 ただ、この当時の「教唆罪」ってのは、馬鹿みたいに見えて実は深いのかもしれない。つまり、同性愛そのものは罪に問わないが、それを強制すれば罪だってのは、案外、理にかなっている。
 これは同性愛に限らず異性間でも、今でも問題になるのは、同意があったかどうか。例えば伊藤詩織さんの事件なんかは、薬を飲まされてふらふらになってるのが防犯カメラに写ってるし、病院で負傷も確認されてるし、直後に警察に駆け込んでるしで、同意なんかあったはずもない。
 けど、新井浩文さんの場合は、まさに「教唆」の問題で、「強く唆した」結果の同意を同意と認めるかどうか。もっと言えば、ジャニー喜多川みたいに、未成年を「強く唆した」場合、それは同意って言うかどうか。
 ジャニー喜多川についての世間の反感って、義憤なのか、性差別なのかはっきりしないところがある。これ、イギリスのジミー・サビルみたく対象が少女だったら、これほど問題になってたかどうか。
 こないだも吉田豪YouTube見てたら、ある元女性アイドルが、どっかのプロデューサーに「裸を見てあげるから脱いで」って言われたそうで、その子は後に女子プロレスに行く強気な子だったので、じゃあっつって、下着のまま個室を出て店の中一周するって行動に出て撃退したみたい。
 このプロデューサーの「あなたの裸を見てあげる」作戦は、盛本真理子が一旦引退するきっかけのひとつでもあった。セリフも一字一句同じで「裸を見てあげる」なのだ。80年代から営々と引き継がれているセクハラな訳で、その時、盛本真理子のパンツに手を入れたプロデューサーって今でも活躍してます。
 話がそれましたが、エットレの受けた「治療」について。電気ショックなんて治療ではなくただの拷問なんで、戦争の捕虜に対してだって問題になるでしょう。
 同性愛を「治療」する必要はないわけだが、性同一性障害で悩んでいる場合は話は別で、今では『Girl/ガール』にあったように、ちんこを切り落とす。しかし、それで性同一性障害の悩みが解決するかというと、現実はそうでない場合もあって、手術後に自殺するってケースもあるそうだ。
 電気ショックとちんこを切り落とすのとどっちが野蛮かって、そんなに変わらないでしょ?。この映画にあったような電気ショックは拷問にすぎないんだけど、それとはまったく別で「脳深部刺激法」ってやり方で性的指向を変えることはできる。これはロバート・ヒースが1950年代にはすでに実現していた。
 しかし、その当時まさに行われていたこの映画のような「治療」と混同されて、彼の研究は葬られることになった。
 繰り返しになるけれど、同性を愛するなら愛するでそれはほっとけばいいんだけど、性同一性障害で自分の脳と体の不一致で悩んでいる人があったとすれば、脳に体を合わせる、つまりちんこを切る選択もあるが、体に脳を合わせるって選択もありうるわけで、個人的にはその治療が正しい気がする。
 なぜなら、ちんこを切っても男が女になるわけではない。それを性転換と呼ぶのはまったくの虚妄にすぎない。性同一性障害は脳のトラブルだというロバート・ヒースのアプローチは正しかったと思う。
 精神を肉体の優位に置くって、これは必ずしもキリスト教的とだけは言えない妄信に囚われてると、脳をいじるってことに拒否反応を起こしがち。だが、男(あるいは女)の体なのに、脳が女(あるいは男)だと誤認識してしまう性同一性障害は、脳のバグだと考えるのが正しい気がする。
 この映画を観ていて、同性愛に対する偏見も変わらないが、脳治療に対する偏見も変わらないんだなあって、偏見もひとつだけだと熱くなれるけど、ふたつ被ってると冷えちゃうんだなあってことを発見した。

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