『TOVE』観ました

 たぶん「ムーミン」の生みの親として知られているトーベ・ヤンソンレズビアンなのは、公然の秘密どころか秘密でさえないと、少なくとも自分はそう思っていた。ただ、こういう知識の疎密さは偏りがあって当然で、美術館通いが趣味のくせに、『MINAMATA』を見るまでユージン・スミスが日本に来ていたことさえ知らなかったりするわけだから、トーベ・ヤンソンが同性愛者だと知って衝撃を受ける人もいるかもしれない。
 そういうわけで、私は、映画『TOVE』は、この映画で描かれている通り、父親が彫刻家、母親が画家という芸術家一家なトーベ・ヤンソンの家族が、第二次世界大戦の激動をどう生きたかを、明らかに彼女の家族の反映であるムーミン一家の物語と、メタ的な構成で描かれているものかと、勝手に期待していたのだった。
 でも、それはあくまでこっちの勝手な期待にすぎない。本作はむしろ、2015年にパトリシア・ハイスミスの原作を映画化した『キャロル』に近い王道の恋愛映画だった。なんなら、スナフキンのモデルと言われるアトス・ヴィルタネンを演じたシャンティ・ローニーの雰囲気まで『キャロル』のカイル・チャンドラーに似てる。でも、この人がスナフキンに似てるかというとそんな気はしなかった。だから、それはこっちが勝手にムーミン寄りの鑑賞をしてるせいなのである。でも、それ、しょうがなくない?。主人公がムーミンの作者なんだし。
 アニメ大国日本の観客としては、たぶんムーミンを愛しすぎていて、ムーミン要素を多めに求めすぎるのだろう。たとえばトム・ハンクスウォルト・ディズニーエマ・トンプソンがP.L・トラバースを演じた『ウォルト・ディズニーの約束』と『メリー・ポピンズ』要素のようなそのくらいのブレンド具合が欲しかったわけ。
 ムーミンのキャラクターの中で、トーベ・ヤンソンが自己を投影しているのはどれだろうと想像を巡らしてみたことは誰でもあるのではないか。私は、彼女が同性愛者だと知っていたからか、スナフキンこそトーベじゃないのかとアタリをつけていた。喫煙者であることも同じだし。もちろん全てのキャラクターに作者の反映があるのだろうけれど、まさかトフスランとビフスランだったとは。
 当時はフィンランドでも同性愛はタブーであるだけでなく犯罪であったそうだ。その世を憚る感じが、トフスランとビフスランにわずかに反映されている。しかし、世に背く緊迫感は、ベネディクト・カンバーバッチアラン・チューリングを演じた『イミテーション・ゲーム』ほど切実じゃないし、エマ・ストーンがビリー・ジーン・キングを演じた『バトル・オブ・セクシーズ』ほど後ろめたさもないように感じる。
 やっぱりそこは芸術家と、科学者、スポーツ選手の違いなのかもしれない。トーベを同性愛に導いたヴィヴィカ・バンドラーがパリから寄こした手紙に「セーヌ左岸は私たちみたいなオバケでいっぱい・・・」という文言がある。世間的にどうあろうと、トーベ本人は後ろめたさを感じてなかったろうと思う。
 最後にチラッと出てくるトゥーリッキ・ピエティラが、トーベの生涯の伴侶となる。彼女を演じたヨアンナ・ハールッティの雰囲気が実際のトゥーリッキにそっくり。

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トーベが描いたトゥーリッキ

 彼女たちふたりはクルーヴ・ハルという小さな島に小屋を建てて、30年近く夏を過ごすことになる。
 私たち日本人が知っているムーミンは、むしろそれ以降の壮年期の仕事なのかもしれない。トゥーリッキもたぶん敢えて立ち入らないトーベの青春期がこの映画が描いている時代なんだろう。いずれにせよ、青春を生き延びることが生きることである。
 トゥーリッキは「トゥーティッキ(おしゃまさん)」のモデルだそうである。『ムーミン谷の冬』で、冬眠中に目覚めてしまったムーミンの話し相手になるのがトゥーティッキだった。
www.moomin.co.jp

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ムーミンとトゥーティッキ