『半世界』と、ポツンと一軒家

 阪本順治監督、稲垣吾郎主演の『半世界』は、TOHOシネマズでやってたときから見ようと思っていたのが、タイミングが合わず見逃していたのを、新百合ヶ丘アルテリオ映像館でやりはじめたので、なんとか駆け込んだ。
 予告編を観た時から、たぶんいいんだとあたりを付けていた。今回、本編を見てわかったのだけれど、「はんteかい」としか聞こえないナレーションは予告編だけだったみたい。あのナレーションに、してやられた感じはあった。

f:id:knockeye:20190410020637j:plain:w500
半世界

 阪本順治監督が、小さな町の小さな出来事をたんたんと描くというような作品はあんまりないんだと思う。風吹ジュン主演の『魂萌え!』があるけれど、あれは、桐野夏生の小説が原作だったのに、今回の『半世界』は完全オリジナルの書き下ろし脚本。例えが少し変かもしれないが、個人的には、メジャーリーガーが河川敷でキャッチボールしているところに通りかかったみたいな驚きはあった。けっこうな低予算だと思うのだが、それならそれで、きっちりシナリオを磨き上げてくる。
 それと、主演が稲垣吾郎というキャスティングがすばらしい。佇まいがこんなにしっくりくるのは珍しいと思う。稲垣吾郎は、おなじく元スマップのメンバー、中居正広、草彅剛、香取慎吾にくらべて、そんなにお芝居で評価されてきたわけじゃないと思うのだけれど、今回のは、ほかの人じゃダメだったと思う。
 池脇千鶴、渋川清彦、長谷川博己という主要人物をはじめ、すべてのキャスティングがよくて、シナリオを磨きあげて、このキャスティングを揃えたら、あとは、ポンと手を叩くだけで、するするすると映画が動き出したんじゃないかと錯覚するくらい。

 公開からだいぶたっているので、ネタバレとか心配することもないのだろうけれど、逆にもう内容に関するレビューは出尽くしてるだろうと思うので、気兼ねなく取り留めもないことを書くことにする。

 主人公は、おやじさんがやってた備長炭の窯を引き継いでやっている。奇しくも、こないだ、所さんの「こんなところに一軒家」っていうテレビ番組観てたら、ちょうどこの映画みたいに、山の中で炭焼きをやっている夫婦がでていた。3月10日放送なので、この映画公開より全然あとなんですけど、リアル『半世界』でびっくりしてしまった。視聴率もすごくよかったらしいです。
 阪本順治監督は、『人類資産』で、グローバリズム経済を突き詰めた経験があって、今回の映画は、淡々と、田舎の日常をえがいているようで、その辺の問題意識がきちんと反映されている。「きちんと」というのは、「じつは深いんです」とか「わかる人にはわかるだろうけどさ」とかじゃなく、ちゃんとした遠近法で、正しい距離感で反映されているという意味。
 稲垣吾郎が演じる主人公が、ひさしぶりに帰って来た同級生(長谷川博己)に、炭焼きを手伝ってもらうことになるのだが、「お前、俺を雇うよゆうなんてあるのか」と聞かれると「甘ったれるな、もちろんただ働きだ」と。この「甘ったれるな」は、ほかの場面でも何度か繰り返されて「それ、意味が逆だろっ」と渋川清彦に突っ込まれる。
 これはもちろん幼馴染どうしの軽口でしかないのだが、ただ、この映画全体の主旋律とうまく響きあう印象的なフレーズになっている。「甘ったれる」ということばを、今のわたしたちは「依存する」という意味で使っている。この主人公は、幼馴染という関係に「依存して」ただで手伝ってもらおうとしているわけだから、渋川清彦のいうように「ふつうは逆」なのである。
 しかし、幼馴染に遠慮して依存しあうまいとしている長谷川博己に対して、「甘ったれるな」という主人公の言葉は、この映画の中では、なぜか説得力をもってしまう。長谷川博己の演じるエイすけは、実は、自衛隊時代の部下の自殺について責任を感じて心を病んでいる。
 上司と部下という「縦」の関係に縋り付いていることは「責任感」と呼ばれ、幼馴染という「横」の関係に縋り付いていると「甘ったれ」と呼ばれるのは、じつはそんなに自明なことなんだろうかと、この映画を観ていると考えさせられる。
 江藤淳の『成熟と喪失』の文庫版あとがきに、上野千鶴子が、あまりに急速すぎた近代化は、「親のようにならないこと」が「近代化」であり、社会的成功であるという不幸な状況を日本の家族と社会にもたらしたといったようなことを書いていた。
 スマホでも、PCでも、それどころか、テレビでも、ラジカセでも、流行の服でも、子供の方が親よりくわしい、変化の急速な時代には、「社会」と呼ばれるものの中の地域社会や親族の結びつきはほとんど無化される一方で、貨幣価値だけが「社会」の価値となる。血族や地域から解放された世代には、貨幣価値以外に準拠する価値なんてない。であれば、結婚などという、ふたたび血族の関係に自分を縛り付けることが煩わしくなるのはごくあたりまえだった。いまの人たちはもう結婚どころか恋愛さえ煩わしい。
 高度経済成長で人口が増え続ける時代は、たしかにそれがリアルだったのかもしれない。しかし、今、逆に経済がしぼんでいく時代、貨幣価値は、それほどにリアルなのか?。地域や家族の横のつながりを「甘ったれ」として否定してきた結果、わたしたちは、資本社会に異議申し立てすらできなくなっているのではないか。貨幣価値に自己の価値観を完全にゆだねてしまい、不確かな横の関係を磨き上げることから逃げてきたその態度の方を「甘ったれ」と呼んでいるこの主人公の軽口がじつは正しいのかもしれない。

 ところで、アルテリオ映像館であんなに人がいっぱいだったのは、最近では記憶にない。稲垣吾郎さんの人気なんだと思う。SMAPってやっぱり大きな存在だったんだなと改めて思いました。

tokushu.eiga-log.com