「家族の肖像」

knockeye2017-05-23

 ルキーノ・ヴィスコンティ監督の「家族の肖像」デジタル完全修復版を観ました。
 川崎アートセンター アルテリオ映像館っていう名画座っぽいところで「午後8時の訪問者」っていう「サンドラの週末」を撮った監督の映画と一緒に観たんだけど、そうやって見比べてしまうと、やっぱし、ものがちがうのですね。
 「家族の肖像」の原題は「Conversation Piece」っていいます。そのまま訳すと「話のタネ」みたいなことになりますけど、家族の肖像画のことも「Conversation Piece」というのだそうです。家族の肖像を見ながら話に花を咲かせるってことがふつうだったのでしょう。
 パンフレットに採録されていた1978年の虫明亜呂無の文章を読んでなるほどと思ったのですけど、バート・ランカスターが演じている老教授、ローマの古いお屋敷にひとり、「Conversation Piece」のコレクションとともに暮らしています、このお屋敷の二階にヘルムート・バーガーが演じる若者が間借りすることになるのですが、時代の空気というか、学生運動に挫折して、今は金持ちマダムの愛人なんかに身をやつしているこの若者に、老教授が心を許すきっかけになったのが、アーサー・デヴィスという画家の描いた「Conversation Piece」だったんです。
 アーサー・デヴィスって画家について、私は全然知らなかったのですが、アーサー・デヴィスが1750年に描いた絵っていうセリフの意味について、虫明亜呂無が言うには、それはつまり、まだ画商も画廊も存在せず、絵が画家のギルドによって注文主に売られていた時代の作品だということを意味しているのだそうです。つまり、この老教授がコレクションしている「Conversation Piece」は、芸術作品でも、投資対象でもない、親密な家族のだんらんの場での「話のタネ」だった、そういう時代の絵だということなんだそうです。
 孤独に暮らしながら、18世紀の家族の肖像をコレクションしている老教授の家に、突然闖入してくる、若者とその愛人の侯爵夫人、その娘と婚約者。その対比が見事です。二階は若者が勝手に改装してしまうのですが、白一色のモダンなインテリア、飾られている絵も、服装も、音楽も、その際立たせ方が見事だと思いました。
 そして、性的なことに対する態度もちがう。侯爵夫人の娘が、老教授のことを、年は取っているけれど、ハンサムでステキだというのですが、そのときのバート・ランカスターの表情が実によかったです。
 カメラは邸を一歩も出ない。それでいて、これだけの広がりと深みのある映画になるんだっていうのは感動的でした。
 ヘルムート・バーガーが体現している、挫折した政治の季節が、トランプだ、ルペンだ、共謀罪だっていう今の時代には、何か身につまされて感じられました。