長谷川等伯 晩年の障壁画

knockeye2017-09-30

 永青文庫長谷川等伯が晩年に描いた南禅寺天授庵の障壁画、全32面を展示している。ただし、狭い美術館なので、ということなのだろうか、前後期に分けて展示される。前期は10月29日まで、後期は10月31日から11月26日までなので、全点観たい方はお見逃し無いように。
 前期に展示されるのは≪禅宗祖師図≫の16面だった。後期には≪商山四皓図≫と≪松鶴図≫が展示される。
 禅宗って仏教の宗派はなんとなく日本のもののように思われてる気がする。もともとは釈迦の十大弟子のひとり摩訶迦葉あたりに起源があるはずだが、インドはヒンズー教イスラム教、シーク教なんかが盛んで、仏教徒がいたとしてもチベット仏教徒だろうし、インドに禅宗をさがしても無駄足に終わる気がする。
 中国は共産党政権下での仏教がどうなっているのか、そもそも、習近平って人がどういう根拠で中国のトップなのかさえ、誰もわからないのに平気なわけだから、もし、中国で禅宗がとても盛んですって言われても、なにかしら胡散臭さがただようわけで、それで、なんとなく、禅といえば、曹洞宗臨済宗の日本の禅のことだと思われてる気がする。
 日本の禅の修行は、掃除の仕方とか食事の作法とか、些細な日常生活の取り決めが積み重なっているだけだと言った人がいた。仏教だから絶対神もいないし、たぶん、キリスト教世界で生きている人たちにとっては、禅は反宗教に見えるのだろうと思う。
 しかし、この≪禅宗祖師図≫に描かれている中国の禅僧たちの世界は、そういう日本の禅とはちょっと違っている。特にこの「南泉斬猫図」は

あるとき僧侶たちが猫をめぐって争っているところに行き会わせた南泉は、その猫を取り上げて、
「わたしを納得させる一言を何でもいいから言ってろ。さもなくばこの猫を斬る」
と言ったが、誰も何も言わないのでその場で猫を斬り捨てたって話なのだが、何のことだかわけがわからない。
 この話はけっこう有名なようで、後には、仙がいも描いているが、「一斬一切斬 爰唯猫児 両堂首座 及王老師」と、猫だけじゃなくて僧侶も南泉も斬られてしまえみたいな事を書いているらしい。
 この話には続きがあって、南泉がのちにこの話を愛弟子の趙州にすると、趙州は脱いだ草履を頭に載せて出ていった。南泉は「趙州よ、お前がいたなら猫の子を救うことができただろうに」と嘆いたとされている。

 中国の禅は、雪舟が描いている≪慧可断臂図≫もそうだが、九年も座禅をして脚が腐ったりとか、弟子入りするのに自分の腕を切断したりとか、これはそんなことで感動することはないので、つまり、絶対神をもたない仏教であっても、狂信的になりうるってことを示しているにすぎない。そもそも釈迦は苦行を辞めることで悟りを開いたのだ。
 だからこの話は、草履を頭に載せて立ち去った趙州がポイントなので、南泉の方はだいたい刀をもってうろうろ歩いていたのがすでに挙動不審で、話の綾ってものなんだろう。その意味で、現代の感覚では(たぶん仙がいのころの感覚でも)、やや臭みを感じさせる。
 ≪禅宗祖師図≫はほかに「五祖・六祖図」、「船子夾山図」 、「懶さんわい芋図」を合わせた四面が、実際には部屋の四方を囲むように配置されていたそうである。図録にはその様子が再現されている。
 南禅寺の天授庵は公開されているが、この障壁画はふだんは非公開だそうだ。ほんとは枯山水の庭に面していたそうで、それは贅沢な空間だったろうと思われる。