ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画

knockeye2015-06-12

 千葉市美術館で「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」という展覧会が開かれている。今週末のおでかけに、「海街diary」の次くらいにお勧め。
 ドラッカーって、もしかして、もしかするまでもなく、あの「もしドラ」のピーター.F.ドラッカーです。日本の水墨画のコレクターとしても有名だったんですって。しかも、もっとも好んだのは「室町時代の」水墨画だというから渋い。
 室町時代が日本の水墨画の最盛期だったとしても、今、わたしたちが目にすることのできる室町時代水墨画は、もちろん、そんなに多くない。以前、三井記念美術館で「東山御物の美」という展覧会があったので、いさんで出掛けたけど、義満以来足利将軍家が収集した美術品が、コレクションとして残っているわけはもちろんないので、今となっては、その残欠の一端を垣間見ることしかできないんだなという印象がいちばん強く残った。
 東山御物は、その後、日本人が美を愛でる意識に大きな影響を与えたには違いないが、しかし、それはすべて「唐物」と呼ばれる、中国伝来の美術品だった。ドラッカーが熱心に収集したのは、室町時代でも、日本画家の水墨画で、「逸伝」といわれる、名前は知られているが、伝記についてはほとんど何も分からない画家も多い。たとえば、静嘉堂文庫の学芸員さんがイチオシしていた、前嶋宗祐もそういう「逸伝」の画家の一人なのだそうだ。
 ドラッカー自身が、日本の水墨画に惹かれたきっかけは、彼自身もう何度も説明していてうんざりするくらい有名な逸話だそうだが、1934年の6月、彼はまだ25歳くらい、ナチスの迫害を逃れて、イギリスで働いていた土曜日の仕事帰りに、突然の雨に見舞われて、駆け込んだ建物で、たまたま催されていた、日本美術の展覧会を一巡りして外に出ると、雨は上がっていて、彼は生涯変わらぬ日本の水墨画の虜になっていたという話。
 図録に、根津美術館での彼の講演が採録されている。なぜ、彼が、日本の水墨画に、とりわけ、室町時代水墨画に魅入られるのか。
 絵は、西洋画も中国絵画もその方法論に違いこそあれ、目指しているものは「描写」つまり、視覚の再現だが、日本の水墨画が意図しているのは、空間の再現ではないか、だから、日本の水墨画を見ていると引きこまれるように感じる。その絵の中に居場所を感じる、それが、彼が日本の水墨画、特に、室町の水墨画に惹かれるわけだそうだ。
 上の一節にはすこし私の解釈が紛れ込んでいる。ドラッカー自身の言葉に寄れば

室町の画家たちは、絵の対象として空間を表した最初の人々です・・・"ディスクリブション"に対し、これが"デザイン"というものです。

・・・しかし、この光琳の扇面は叙述的描写ではなく、「デザイン ー 意匠」なのです。私たちはデザインが何を意味するのかは知っていますが、それをはっきりと定義づけることはできません。デザインとは空間構成と関係するものであり、デザインにおいてはこの団扇に見られるように、常に最初に空間があり、そしてデザインによって余白を仕切られ、構築され、さらに限定されるのです。皆様はこれを日本が中国から学んだとおっしゃるかもしれません。有名な牧渓の「柿図」は完璧なデザインであり、空間の処理を表しております。しかし、ご存じのように中国人は牧渓をあまり高くは評価しておりませんでした。評価したのは日本人でした。この光琳の扇面は牧渓の「柿図」の直接的な系譜に属するものでありましょう。

 日本の水墨画はまず禅僧によって始められたといっていいのだろう。鎌倉時代、日中の国境を越えた寺院の交流から、中国絵画の模倣としてそれは始まった。先に挙げた東山御物でも、牧渓の評価が、本国の中国より高いことが特徴として知られている。
 実際のコレクションはずっと降って1962年の来日をきっかけに始められた。ビートルズがメジャーデビューした年だ。不思議なわかわかしい時代だった気がする。「室町時代水墨画が観たいのですが」と言って、画商を驚かせたそうだ。
 もちろん、コレクションのすべてが室町時代水墨画というわけではない。
 わたしが今回、いちばん驚いた絵は中林竹洞の「夏冬山水図」


 江戸時代の名古屋の人だそうだが、こんな人がまだいますか?という感じ。
 それから、個人的に大好きな仙がい和尚の

こんな絵もあった。一刀両断。何かチャーリー・ブラウンのバッティングフォームに似ている。

 こうした仙がいや白隠の禅画をドラッカーは「カウンターカルチャー」とくくっていた。なるほどそうだと思った。これをカウンターカルチャーと観ることのできるドラッカーの、日本のカルチャーを見る目のくもりなさをよく示す言葉だと思った。

・・・禅画は江戸の反体制文化でした。ガイジンが日本の美術を鑑賞するとき、最も大切な事柄のひとつは、日本における禅画というものが20世紀ヨーロッパにおいて失敗した表現主義、それを成就したものとして見ることです。
(略)
ヨーロッパの20世紀表現主義の反体制文化、その耐え難い不安と苦悩は信仰の全くの欠如の、精神性の不在を示しています。しかしながら、禅画は絶望を超克する信仰の勝利でありました。

 ところで、最後にひとつ謎は残る。ドラッカー自身がくりかえし語っている、日本の水墨画とのファーストコンタクトだが、その後、どんなに調べてみても、1934年の6月、ロンドンで日本画の展覧会が催されていた記録はないそうなのだ。
 前にも書いたけれど、この展覧会が終わると、次に、ルーシー・リーの展覧会が巡回する。ドラッカールーシー・リーオーストリアのウィーンで生まれ育ち、ナチスの迫害を逃れてイギリスに渡っている。わたしたちはもしかしたらここに、世紀末ウイーンの末裔を見ているかもしれない。ひとりは陶芸家で、ひとりは著名な経済学者である一方で、室町時代日本の水墨画を収集している。わたしはなにか、ひそやかな反抗の匂いをかぐ。
ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画ー「マネジメントの父」が愛した日本の美|2015年度 展覧会スケジュール|千葉市美術館 ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画ー「マネジメントの父」が愛した日本の美|2015年度 展覧会スケジュール|千葉市美術館