「名勝八景 憧れの山水」展 出光美術館

 出光美術館で「名勝八景 憧れの山水」。前回の「奥の細道330年 芭蕉」も観たけども何にも書かなかったな。
 「奥の細道」に「そもそもことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、おおよそ洞庭・西湖を恥ず。」とある、その「洞庭・西湖」が今回の展覧会の肝なので、なんとなく連続性を感じる。ようやく空気も秋らしくなってきて、旅心がさそわれる。

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玉澗 ≪山市晴嵐図≫

 今回の展覧会のキービジュアルに用いられている玉澗の≪山市晴嵐図≫は、風景と山水のちがいをはっきりと感じさせるにはいい選択だと思う。山水には風景をそこにあるように見せる意図はない。観るものと観られるものを分離する意図がない。
 西洋の風景画は眼前の風景を写そうとしてきた。それはカメラの写すイメージにそのままつながっている。ので、西洋の風景画に慣れていると、山水を鑑賞する回路が捉えられない人もいるのかもしれない。
 風景画はヴィジュアルイメージを再現しようとするのに対して、山水は、空間を再現しようとする。
 室町時代水墨画のコレクターとしても知られていたピーター・F・ドラッカー根津美術館で行った講演でこう語っている。

室町の画家たちは、絵の対象として空間を表した最初の人々です・・・"ディスクリブション"に対し、これが"デザイン"というものです。

・・・しかし、この光琳の扇面は叙述的描写ではなく、「デザイン ー 意匠」なのです。私たちはデザインが何を意味するのかは知っていますが、それをはっきりと定義づけることはできません。デザインとは空間構成と関係するものであり、デザインにおいてはこの団扇に見られるように、常に最初に空間があり、そしてデザインによって余白を仕切られ、構築され、さらに限定されるのです。皆様はこれを日本が中国から学んだとおっしゃるかもしれません。有名な牧渓の「柿図」は完璧なデザインであり、空間の処理を表しております。しかし、ご存じのように中国人は牧渓をあまり高くは評価しておりませんでした。評価したのは日本人でした。この光琳の扇面は牧渓の「柿図」の直接的な系譜に属するものでありましょう。

 描写を意図していない水墨の山水は、今みると具象画ではないように見える。
 狩野探幽と狩野安信の瀟湘八景図があった。狩野派の歴史のなかで、江戸狩野の祖である狩野探幽の絵は、源流である京都の狩野派にくらべると、ちょっと余白が目立つ。洗練されて粋だともいえるが、気取っていて鼻につくともいえる。
 京都のように自律的な文化を主張できない一方で、庶民が浮世絵を生み出したように自由奔放にもなれない、江戸の上層階級の屈折を感じて、なじめない絵師でもあったが、瀟湘八景図のように、モチーフがあまりにも一般的な画題になると、その革新性の方が目立って見えた。墨がみずみずしく美しい。

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瀟湘八景図のうち≪漁村夕照≫ 狩野探幽
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瀟湘八景図のうち≪洞庭秋月≫ 狩野探幽

 このあいだ、東京国立博物館であった三国志展にあるかなと思ったけどなかった長澤芦雪の≪赤壁図屏風≫があった。これは、長澤芦雪の天才ぶりが分かる、根津美術館所蔵の名品である。
 濃い墨で描かれた松の木のリズム感。奇岩のキュビズムのような構成。これをワンタッチで描き切らなければならない水墨で描いているのだからすごい。


長澤芦雪 ≪赤壁図屏風≫ 右隻


長澤芦雪 ≪赤壁図屏風≫ 左隻


吉野龍田図屏風 吉野



吉野龍田図屏風 龍田

 吉野龍田図屏風は、根津美術館のものも出光美術館のものもどちらも「artist unknown」である。誰が描いたかわからない。
 このほかにも、雪村の≪瀟湘八景図屏風≫、狩野山楽の≪西湖図屏風≫、狩野山雪の≪金山寺図屏風≫など名画が多数展示されているが、これ以上図録を痛めつけるのに忍びないのでので。

 ちなみに芭蕉展では、松尾芭蕉の絵がいくつもあって、蕪村はもちろん絵師でもあるので、その絵もけっこう目にしたことがあったが、芭蕉の絵もいいなと思った。なかでも、

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はまぐりのいけるかひあれ歳のくれ はせを
 
 この蛤の絵。
 「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」は、「奥の細道」の結びの句、湯がかれて蓋と身にわかれていく蛤のイメージと行く秋の季節感が対比されていて忘れがたい。蛤の蓋と身が、二見の地名とかけられているのも、歌枕を巡る旅だった「奥の細道」の結びにふさわしい。日本人が地名を詩に読むことに喜びを感じるのは何故かは謎だそうである。