フランスの人間国宝、江戸の琳派

knockeye2017-10-01

 フランス人間国宝展という展覧会が、東京国立博物館で始まっている。運慶展の行列を尻目にスルッと入れる。
 フランス人間国宝、正式には「メートル・ダール」という制度が彼の国にあるそうだ。意外なことに、制度が創設されたのは1994年と、かなり新しい。日本のいわゆる人間国宝重要無形文化財に倣って設けられたのだそうだ。
 アートの保存や育成には、非常に熱心なフランスだが、クラフトに価値を見出したのが近年なのは、何かしら示唆的に感じられる。
 フランスのアートは常にアカデミズムの脅威にさらされることになる。と、私は思ってるのだけれどどうだろう?。
 フランスの思想家は、ロラン・バルトにしても、サルトルにしても、エマニュエル・トッドにしても、現実に探針を刺していると思うのだけれど、彼の国のアートには、一方で必ずアカデミックになろうとする力が働いている気がする。文化を守ろうとするあまり、そうなりがちなのかもしれない。
 そのフランスで、ファインアートではなく、日常工芸品が伝統として意識され始めているのは、日常工芸品までアカデミズムに取り込もうとする方向なのか、それとも逆に、柳宗悦民藝運動のような価値の多様化が起こっているのか、私にはわかりようがないが。
 ただ、三井記念美術館の「驚異の超絶技巧」で紹介されていたように、クラフトを志向する現代の作家が、世界の東と西で同じように誕生し始めていることが面白いと思った。ネリー・ソニエの羽根細工などは「驚異の超絶技巧」の展覧会に紛れ込んでも何の違和感もないだろうと思う。


 15人のメートルダールの作品が一堂に会している。

 同じ日に、出光美術館で始まった「江戸の琳派芸術」を観た。
 琳派について私がまず最初に知ったのは酒井抱一だったと思う。そのため、一時期は尾形光琳まで江戸の人だと勘違いしていた。ただ、光琳に先んずる俵屋宗達まで含めて「琳派」と呼ぶその伝統意識は、抱一の光琳に対する敬慕の念がつくりあげたものかもしれない。
 琳派の屏風も、日本の美術館を訪ね歩けば、目にしないことはないくらいなのだが、観たことのないものもあるし、観たことのあるものでも以前観た時とは違った発見がある、というより、鑑賞者自身が年を経ている。人は絵よりもはるかに早く歳をとる。
 「風神雷神図」も、宗達光琳、抱一、其一(其一だけ襖絵)と観たことはある。今回は抱一の屏風だけ展示されていたが、抱一が文政9年に発行した『光琳百図』の風神雷神のページも展示されていた。それはモノクロームなので、かえって抱一の「風神雷神図」の解釈がわかりやすい。
 光琳の≪風神雷神図屏風≫の裏に≪夏秋草図屏風≫を画いた抱一であるが、図録にはその「夏秋草図」と『光琳百図』に抱一が描いた風神雷神図をレイヤーに重ねる面白い試みをしていた。そうすると、夏秋草図の余白に風神雷神がぴたりと収まるのだそうだ。
 わたしは『光琳百図』の風神雷神は、鈴木其一のそれに似ていると思った。特に、それぞれの雲の表現が。これを手本にしたのかなと思った。昔の人は今の私たちみたいに気楽にホンモノの光琳宗達に接しなかっただろう。抱一も宗達の≪風神雷神図屏風≫は知らなかっただろうと言われているし、其一があの百図からあの襖を描いたってことはあることかもしれない。
 昔、加藤周一が、俵屋宗達風神雷神図を批判していたことがあった。たしか、「腕が醜い」というのだった。しかし、私は、風神雷神の腕がミケランジェロ最後の審判のキリストの腕みたいだったらよかったとは思わない。
 日本の絵画は写実的ではなくより表現的なのだ。そもそも、風や雨を風神雷神として描くことがすでにそうした表現なので、その風神雷神を写実的に描く意味がどこにあるのか、というより、デッサンの正確な風神雷神を描いてどうなるのか、それは単に、風神雷神に扮したモデルの肉体を正確に写したにすぎない。
 水墨画は書き直しが効かないため、日本画は、基本的に最初の一筆が最終稿である。一気呵成に描きあげる絵は画家の表現としてそこにある。日本絵画がジャポニスムとして西洋に与えたインパクトはむしろそこなのだ。宗達の《風神雷神図屏風》は、風神雷神の装具が画面の外にはみ出し、視線は中央下部に注がれている。そのことでダイナミックに上昇する空間が出現する。
 其一の≪秋草図屏風≫。

 写真ではわかりにくいが実物は銀屏風で、これは感じ方しだいかもしれないが、銀やけといわれる銀の酸化がすすんで渋い味が出ている。とくに、なでしこの花びらをふちどる黒ずみが美しい。
 私は、この銀ヤケは意図的かもしれないと思ってみた。抱一の≪夏秋草図屏風≫も銀だがここまでやけてないし、それよりずっと時代がさかのぼる狩野山雪の《雪汀水禽図屏風》の銀屏風もここまで黒くなっていない。もちろん、保存状態もあるから一概には言えないけど、抱一が鶉を描いた絵で、銀ヤケを模して半月をわざと黒くした絵を観たことがあるので、ないことじゃないのかなと考えてみた。あえて銀やけを表現に利用する、その渋好みは、江戸琳派らしいが、これは私の想像にすぎない。