「桃山 天下人の100年」てふ展覧会を東京国立博物館で観た。
コロナ禍でどうにも困るのは、今までならふらっと行けた美術館が時間指定の予約制になったことで、特に上野の場合、国立西洋美術館、上野の森美術館、東京都美術館、東京国立博物館、東京芸術大学大学美術館、加えて、国立科学博物館まであり、土曜日は、東京国立博物館と国立西洋美術館は、夜の9時まだ開館していたので、上野でほぼ1日過ごせたのに、今は、事実上、ひとつの美術館しか行けないって状況だ。
しかも、コロナ禍に便乗したのかどうか知らないが、チケット代が跳ね上がっている。この展覧会も2,400円とか。TOHOシネマズで映画を観る値段の1.5倍なのである。ちょっと腑に落ちない感じはある。ちなみに、週末の横浜美術館のトライアローグって展覧会は1,500円だった。
それはともかく、久しぶりに、桃山時代の屏風絵をたっぷり観られた。気のせいか、最近やたらに浮世絵の展覧会が多かった気がしていた。浮世絵ももちろんよいのだけれども、室町時代の水墨画、桃山の屏風絵、琳派、円山派の絵画などももっと評価して欲しいなと思っている。
長谷川等伯の《松林図屏風》は、押しも押されもせぬ国宝中の国宝だろう。橋本治の『ひらがな日本美術史』の表紙もこの屏風の一部が使われていた。
この絵を七尾で初めて観た衝撃は憶えている。ただ、その時と同じくらい、今も感動すると言えばそれは嘘になる。絵の価値が減じるわけはないので、自分の老い衰えを確認しているようなものだ。400年も前から人を感動させ続けてきたこの屏風は今後も何百年も誰かを感動させ続けるのだろう。そう考えると、この絵の方が実体で、それを観ているわたしの方は影のようなものだ。
狩野山楽、狩野山雪、海北友松は3人ともにみな、死んだ武将の子だったり、狩野永徳の作品も多くが戦火で失われていたりする。この時代の雄渾さにはそんな裏付けがある気がする。
時代が降って、徳川幕府の御用絵師となった狩野探幽の絵となると、そういう迫力はない。探幽の《雪中遊禽梅竹図襖》は、木の枝にキジの尻尾だけがあって身体の部分が金箔で塗りつぶされていた。かなり奇怪に見えた。
探幽の絵は余白の美と呼ばれることがあるが、長谷川等伯の《松林図屏風》の余白は空間が充満している。探幽の余白は、忖度の余白に見えてしまう。
常設展に
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がしれっと置いてあった。
桃山とは時代がちがうがこちらも、酒井抱一が、尾形光琳の《風神雷神図屏風》の裏に描いた名品中の名品。しかも、常設展は、撮影してよいので、ぜひこちらにも足を伸ばすことをお勧めしたい。