ジョルジュ・ブラック展 メタモルフォーシス

 ピカソとブラックがキュビズムを始めたことは間違いない。どちらが先だったかは、ハッキリ知らないが、しかし、このふたりのキュビズムはずいぶん違う印象がある。
 たとえば、これはよく言われることらしいが、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》はキュビズムなのか?。
 ピカソにとってのキュビズムは通過点に過ぎなかったように見える。キュビズムだけでなく、ありとあらゆる実験を通して、ピカソは、アフリカ的段階へと、西欧的教養と秩序が、目と手を支配する前の、根源的な絵を描く欲求へと、深く潜行していったように見える。ピカソアンドレ・マルローに《アヴィニョンの娘たち》は、「私の最初の悪魔祓いの絵だった」と語ったそうだ。
 しかし、ブラックは、生涯キュビズムにとどまって満足していたように見える。おそらく、ピカソにとっては破壊だったものが、ブラックにとっては創造だったのであり、ピカソにとって下降だったベクトルが、ブラックにとっては上昇であり、ピカソにとって捨象だったことがブラックにとっては拡張だったのではないか。
 キュビズムという拡張された目と、想像する手を獲得したのだから、キュビズムの木を花盛りにしようとしたブラックの態度は、画工としてむしろまっとうであった。
 私はブラックの絵が好きなんだが、今回の展覧会にちょっと二の足を踏んでいたのは、今回のメタモルフォーシスって、絵じゃなくて、ブラックがデザインしたジュエリーっつうじゃないですか。
 これはもう大昔になるけど、ダリがデザインしたジュエリーの展覧会を観に行ったことがあった。その時の印象としては、何か変てこなものを見たつう記憶だったので、今回もどうかなぁ、何ならパスでもいいかなぁくらいに思っていた。
 しかし、行ってみるもんですな、感心しました。
 ブラックは、最晩年にこれに取り組んだそうで、もう死期を悟っていて、デザイン画の下には、サインと日付と、これをエゲル・ド・ルヴェンフェルドが立体作品に複製することに同意する旨の同意書まで書き添えた。
 ここには、いくつかの意味があると思うが、ひとつには、創造の過程に共同作業を受け入れたということである。発想から完成まで全てを自我の管理下に置くことを放棄した。
 もうひとつには、そのことと関連しているが、作品の複製を受け入れた。オリジナルとコピーの差がない点でこれは、アートではなくクラフトである。
 これは、キュビズム創始者が行き着いた先として意外であるとともに、痛快でもある。そして、何より、作品自身の完成度が高い。
 ダリのジュエリーがそんなでもなくブラックのこれらのメタモルフォーシスが美しいと感じるについては、シュールレアリズムが「暗喩」に、キュビズムが「換喩」に、それぞれの表現の基礎を置いているという、ロマン・ヤコブソンの説を思い出させる。
 ダリは、圧倒的に絵が上手い。だから、キュビズムではなくシュールレアリズムに行ったんだと思っていた。たとえば、松葉杖という暗喩には、松葉杖を描く画力が必要になる。松葉杖が松葉杖に見えなければ暗喩にならない。シュールレアリズムはキュビズムよりはるかに言葉に近いってことになるのかもしれない。
 ブラックの最晩年のこれらの造形作品が美しいのは、彼の作品が、対象を解体して再構築するキュビズムだからだろう。文字通りメタモルフォーシスアンドレ・マルローはこれらメタモルフォーシスをブラックの最高傑作と呼んだそうだ。
 アートからクラフトへというこのキュビズムメタモルフォーシスは、ピカソとはまるで違う展開でありながらも、アートを近代の作家性から解放し、それ以前の無名性へと還元するという意味では、ピカソ以上にラディカルにアートを解体しているかもしれない。
 汐留ミュージアムの図録は、最近、iPad miniくらいの大きさになってて買いやすい。装丁も今回の展覧会にふさわしくオシャレだった。デカイ版のものは見るにはいいけど、家に持って帰った時点で肘の靭帯が損傷してる。時々あるけど、Amazonで買えるとかにしてもらうと有難い。

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』

 李闘士男監督は『デトロイト・メタル・シティ』がすごくよかった。原作の漫画が面白かったには違いないけれど、面白い原作の映画化が必ず成功するとはかぎらないわけで、あれはやっぱり見事だったと思う。
 『神様はバリにいる』は、尾野真千子にコメディエンヌの才能はなかったようで、『デトロイト・メタル・シティ』の松山ケンイチのような疾走感はなかった。尾野真千子は、宮藤官九郎の『謝罪の王様』、『Too Young To Die』にも出てたけど、個人の感想としてはコメディには向かないと思う。誇張したお芝居ができない気がする。
 今回の『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』は、YAHOO知恵袋の相談→ブログ→コミック→映画の伝言ゲームらしく、どのあたりでどうなったか分からないが、シナリオはグタグタ。
 でも、骨格はしっかりしてたと思う。バツイチの中年男が若い女の子と結婚する。しかし、前の離婚がトラウマになっていて結婚生活に自信が持てない。一方で、奥さんの方も、小さい頃に母親と死別していて、その頃の父親の悲嘆を目の当たりにしているため、別離を怖れる気持ちがひといちばい強い。
 このふたりの心理の化学作用が妻の死んだふりっていう「奇行」になっている。そういう現状があり、そこに、夫の後輩夫婦の別れ話や、妻のパート先での老店主とのふれあいや、妻の父の急病などがある、というエッセー風な起承転結のない描き方をすればよかったとおもうが、そんな風になってなくて、妻の死んだふりの謎解きみたいなプロットを無理矢理ハメ込んだような作為が透けて、作品に入り込めなかった。
 特にまずいなと思ったのは、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したとかいう、私は知らなかったが、ネットで流布しているらしい根拠のないデマが、キーに使われているところ。ネットで検索してみると、もういろんなテレビドラマやコミックで使用済みだそうで、手垢のついたエピソードをわざわざ持ってこなくても良かったと思う。
 奥さんが「やっと気が付きましたか」って言うんだけど、それはないと思う。
 「死んだふり」のエピソードは『デトロイト・メタル・シティ』でいえば、クラウザーさんに変身するのと同じで、そこだけ非現実的に描いてよかったと思う。死んだふりの小道具にいちいち値札がついている必要はなかったと思う。松山ケンイチがトイレに隠れて、次に出てきたらクラウザーさんになってた、あの映画的表現をここでも発揮して欲しかった。
 中年のバツイチ男と、男手一つで育った若い奥さんがお互いを思いながら自分たちの夫婦生活に自信を持てないでいる日々と、非日常的な「死んだふり」の表現がうまく化学反応を起こすことができたら成功した可能性はあると思う。
 いずれにせよ、ナイストライだとは思いますね。
 それにしても、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したなんて根拠のない話が、なぜネットで流行ったりするんだろう?。特に「いい話」とは思わないけど。

難民鎖国日本

 今日、新宿で映画を観た帰り、ロマンスカーに乗って、radikoバナナムーンGOLDを聴きながらヘラヘラ笑ってたら、となりのおばさんに、
「お楽しみのところすみませんが・・・」
と、スマホの画面を示されて、
「この『トランプがメキシコ移民を日本に』ってどういう意味なんでしょう?」
と話しかけられた。
 なんとか辻褄の合う説明をしようかと考えてみたけど、日村さんが臨終のときに設楽さんを笑わせようと言ったひとことが気になって、適当な受け応えになってしまった。
 まあ、でもこれは、AirPodsでヘラヘラしてるわたしが気色悪かったんだろうと、質問の意図を忖度して、なるべく慎ましく聴くことにしたのであるが、その一方で、ホントにトランプの発言が衝撃だったのかもしれない。
 「国境に壁を作って移民を入れないって言ってたんですよねぇ・・・」
 バナナムーンGOLDを聴いてなくて、真剣に集中して意味を考えても、このトランプの発言の意図は全然わからない。
 ふつう政治家の発言は、その1、意図が正確に伝わるように言葉を選んで話す、その2、最大の効果が上がるようにタイミングを計って話す、のであるが、このトランプの発言は、意図も伝わらなければ、どういう効果を狙ったのかも分からない。
 というわけで、これについてこれ以上何も言えないし、考えられないが、自由連想として思い浮かぶのは、とにかく日本は難民の受け入れに消極的すぎる。人口減少のとりあえずの処方として、難民や移民を受け入れる以外に方法はないし、それは国際的な要請でもある。テロとか、軋轢とか、そういう副作用は、乗り越えられるし、それを乗り越えることは、よい経験値になるに違いない。メリットとリスクを天秤にかけても、メリットの方がはるかに大きい。
 ちなみに、難民受け入れに積極的なドイツでは、出生数が五年で2割も増加したというニュース
 政府が外国人労働者受け入れに動き出すというニュースもある一方で、日本人女性と正式に結婚し、本来であれば在留資格を認められる立場であるにもかかわらず、長期にわたって東京入国管理局の収容施設に拘束され、自殺未遂を起こしたクルド人男性のニュースもあった。
 個人的にはこちらの方がモリカケなどとマスコミが言葉遊びで呼んでいる問題よりはるかに重大だと思うのだが、今のところ、SPA!以外は黙殺らしい。

『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』

 サリー・ホーキンスイーサン・ホーク
 モード・ルイスはカナダに実在した絵描きさんだけれども、分かっているところと知られていないところがあるらしいので、この映画を観ただけのわたしが、事実関係についてあれこれ書くのはバカげている。
 映画の最後に出てくる、実際のモード・ルイスの映像を見たとき、混乱して思わず声が出そうになった。えっ、サリー・ホーキンスじゃないの?、と思った。お芝居のあとに役者さんがカーテンコールで出てくる、ちょうどそんな感じに、さっきまでモード・ルイスを演じていたサリー・ホーキンスが舞台の袖から出てきたような。
 ルックスが似ているわけではなく、しぐさ、表情など、たたずまいのすべてがそれまでスクリーンで見ていた、サリー・ホーキンスのモード・ルイスそのまま。アシュリング・ウォルシュ監督のインタビューによると「衣装の中で最初に決まったのが靴でしたがその靴でサリーはモードの歩き方を見いだしてくれました。」のだそうだ。
 しかし、歩き方だけではなく、やはり、笑顔と、その内側にあると思われる、モード・ルイスが何かを見ている、その見方を見出していると思う。
 この演出のすばらしいところは、思い切りのよいすっとばしかた。心理的なところはすべて役者の表現によっていて、たとえば、モード・ルイスがなぜ絵を描いているのかの説明などは一切ない。
 絵を描くシーンと同じくらい絵を売るシーンも多い。旦那が魚を売る、そのついでに、女房が描いた絵も売る、飼っている鶏をつぶし、スープを作り、床を掃除して、網戸を張る。それぞれのシーンの間に10年くらい経っている場合もあるようだった。
 エべレットがモードの遺品の中から、出会いのきっかけになった求人広告のメモを見つける。出会いと別れの間に暮しがあって、その暮らしに、絵を描いたり、絵を売ったりが含まれていただけ。
 それだけなんだけどって笑顔を、サリー・ホーキンスも、実際のモード・ルイスもしている。それはすごいと思う。
 旦那のエべレットを演じたイーサン・ホークは、いわば、受けの芝居になるのだけれど、自分ひとりの暮らしに、モードがやってきて去っていった、そんな無骨なたたずまいが見事だった。インタビューに「大人の恋愛を描いた作品は本当に少ない。これは過去にない美しいラブストーリーだ」と、本作を語っている。

 

映画『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』予告編

長谷川利行展

 虹の画家といえばわかる人も多いと思う靉嘔の回顧展が2012年にあった。そのとき印象深かったのは「これでもう絵を描かなくてもいい」という言葉だった。
 それは靉嘔が虹を始めたきっかけについて書いた文章で、線やフォルムは過去の巨匠たちの焼き直しにしかならない、残されているのは色だけだが、ピカソのように青の時代、桃色の時代、白の時代と、一つずつの色を追求していては、何度生まれ変わっても完成に至らない。用いるべきはすべての色でなければならない。しかも、光のスペクトラムどおりの順番でなければならないと、赤から紫へ、キャンバスを埋めていった。
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 描き終えて、「これでもう絵を描かなくていい」と思ったそうだ。
 描く以外の選択肢が、事実上、無限に広がっている今という時代、絵を描くことについての閉塞感に画家が襲われることはあるのだろう。絵を描くよりも、便器さがしの旅にでも出た方が、はるかによいと思うのも無理からぬ話である。
 そして、靉嘔は虹を発見した。もはや誰があの虹を描いてもそれは靉嘔の絵にしかならない、そんな圧倒的なオリジナリティーを持っているのは、アンディ・ウォーホルのキャンベルのスープくらいではないだろうか。
 しかし、オリジナリティーについて、アンディ・ウォーホルは「そもそもどうしてオリジナルである必要があるの?」と言っていたそうだ。昔の日本の絵には、国宝級のものでも「作者不詳」のものが多くある。一旦描かれた絵は、便器やスープの缶と同じように、モノとして世界に存在し続ける。オリジナリティーにこだわるのは評論家であって画家ではない。
 靉嘔の「線やフォルムは過去の巨匠たちの焼き直しにしかならない」という意見は、おそらく間違っていたと思う。
 新たに描かれるすべての線も、フォルムも、色も、ひとつとして、過去の巨匠の焼き直しになったりしない。というより、たとえば、ラファエロ、たとえば、ルーベンス、たとえば、ダ・ヴィンチを巨匠に祀り上げるのも、新たな画家たちをその焼き直しとこき下ろすのも、評論家の視点にすぎない。彼らの目はそのような目にすぎないために、マルセル・デュシャンが美術館に置いた便器の前で100年も身動きできずにいる。
 虚無に向かって一本の線を引くことすら敢えてしないものが、アートはそんなところではなく、自分たちのコンセプトの中にあると言いながら、その実、寄って立っているのは、100年前の便器にすぎない。
 てなわけで、府中市美術館で開かれている長谷川利行展を訪ねた。
 長谷川利行は1891年に京都に生まれ、若い頃は、絵筆ではなく文筆の人であったらしく、私家版の歌集なども出していたそうだが、1921年に上京し、1923年には自作の絵が公募展に入選しているから、いつのまにか画家になっていた。
 しかし、その年の9月に関東大震災があり、その後、1940年に亡くなるまで、今の言葉でいえば、ホームレス、という言い方が上品すぎるとすれば、何者でもなく、ただ死に向かって安酒を飲み続け、絵を描き続け、最後は胃癌で倒れているところを東京市養育院に収容されてそこで死んだ。
 図録を読んでみても、Wikipediaでも、どういう人だったかほとんどわからない。これは『月映』の時にも驚いたが、萩原朔太郎の処女詩集『月に吠える』は、日本の近代詩で最も有名な詩集だと思うが、その装丁に関わった田中恭吉、恩地孝四郎について、ほとんど何もわかっておらず、『月映』の同人だった田中恭吉、恩地孝四郎、藤森静雄の作品は、つい最近まで、どれが誰の絵かも分かっていなかったそうだ。
 長谷川利行の場合もそれに似ている。ただ、絵だけが残ったという風に見える。関東大震災の年の11月に『火岸』という歌集を刊行している、その中に、

絵を描くことは、生きることに値すると云ふ人は多いが、生きることは絵を描くことに価するか。

と書いている。




 これらの絵が過去の巨匠たちの焼き直しだろうか?。どこをどうみても長谷川利行の絵でしかない。この絵の中に過去の巨匠たちの影を探そうとするほどつまらない鑑賞法もない。それよりはむしろ、過去の女の面影を探す方がはるかにマシ。

『ザ・スクウェア 思いやりの聖域』

 この映画はリューベン・オストルンド監督の『フレンチアルプスで起きたこと』に続く映画。『フレンチアルプスで起きたこと』は、普段はなかなかくすぐられないところをくすぐられる映画で、一昨年のカンヌの話題をさらい、ハリウッドリメイクも決定したりという、ユニークで新鮮な映画だった。
 そして、この『ザ・スクウェア 思いやりの聖域』は、去年のパルムドールを受賞したわけだから、是非とも観るつもりにしていたのであるが、今日まで放置することになったのは、主人公が現代美術を扱う美術館のキュレーターって事で、ちょっと、最近、現代美術に辟易しているところだったので、足が向きにくくなってしまっていた。
 もちろん、伝統的な絵画に出来不出来があるように、現代美術にも、くだらねえものからすばらしいものまで、玉石が糞まみれなのは分かっているが、ある現代美術の作家が、「芸術はもはや高価な壁飾りではない」と発言しているのを見て、一気に醒めてしまった。伝統的な絵画すべてを「高価な壁飾り」で片付けられる神経の鈍さ、一生のうち一枚の絵にも感動したことがない人間が、現代芸術をいかにも「進歩」であるかのように語っている、思考の低劣さに呆れた。
 現代美術が表現の幅を広げたのなら価値がある。束縛を超えて自由を手に入れたということだから。しかし、現代美術が、美術という枠の中の進歩だというなら、それは、カビ臭い進歩主義に雁字搦めになっただけのことである。
 で、見回してみると、コンテンポラリーアートの人たちには、内側からの衝動で自由な表現を求めている人よりも、とにかく新しいことをやらなきゃって、美術の先生に抑圧されておねしょが止まらないタイプが多いみたいなのだ。
 そんな具合に、現代美術にうんざりしてるところだったので、映画とは関係ないのだけれど、もし、その手の「先生、あたしこんな進歩的なの作りました!」的なの見せられたらたまんないなと思って迷ってたのであるが、先日、『万引き家族』を観て、よく考えたらパルムドールを受賞した映画がそんなしょぼいはずはないと、考えを改めたわけだった。
 と、前置きが長くなってしまったので、結論を早めに言うが、2時間半という長さであるにもかかわらず、観客を逸らさない、前作にましてユニークでエキサイティングな映画だった。
 特に、感心したのは、ギャグが冴えている。思わず笑ってしまったところがいくつかあった。ユニークなのは、セックスのシーンで笑えること。ふつうなら一番笑わさないはずのところでいちばん笑える。これはネタをバラしたくないので、是非観てもらいたい。碩学みうらじゅんに訊いてみなければ確かなことは言えないが、ああいう演出はポルノ映画の山をかき分けても見つからないのではないかと思う。
 それと美術館の展示品が笑いに絡んでくるのも、「わかってる」感じ。私は別にコンテンポラリーアートが嫌いなわけではない。コンテンポラリーアートでも、笑いの質が高いのはある。前に何度か書いたが、横浜トリエンナーレに展示されていた、テニスコートと裁判所(court)を掛けた作品なんかはサイテーの地口だったが、逆に感心したのは、東京国立現代美術館で観た田中敦子の作品で、展示室の入り口付近に非常停止ボタンかロケット発射スイッチみたいなのが置いてあり「押してください」ってなってる、それを押すと、有線でつながったいくつもの非常ベルみたいな装置が順番に鳴っていく。展示室の奥で絵を見ている人の後ろでけっこうな音量でジリリリとか鳴るわけで、押した人はけっこう焦る。でも、奥で絵を見てる人は、ここに入るときに、自分でもそれを押してるので、うるせえんだけど、また誰か押したなってニヤニヤする。これはかなり上級レベルの笑いだと思う。
 田中敦子にしてみれば、自分の絵を観てる人の後ろで、わざわざうるさい音を立てるように仕組んでるわけで、絵を観ることに対する問いかけでもあるし、まだ絵を見ていない人と、今見ている人を回路でつなぐ試みでもあるわけで、あれは今でも記憶に残っている。
 雑誌ELLEのサイトのインタビューによると、リューベン・オストルンド監督が影響を受けた映画監督の筆頭はミヒャエル・ハネケだそうだ。「ユニークなアプローチや慈悲の無さ、それでいてシーンを作り出す時の繊細さや丁寧さ」、ただ、アキ・カウリスマキロイ・アンダーソン「に比べてハネケにはユーモアがないですよね。私にはその両方があるのかもしれません。」
 アキ・カウリスマキ宮藤官九郎が大好きだそうで、『希望のかなた』は映画館で二回(もっとかな)観たと書いていた。でも、私はあのギャグは少しゆるいと感じる。よく言えばオフビート。それは、このインタビューで気がついたのだけれど、アキ・カウリスマキには、たしかに、ミヒャエル・ハネケに比べて、丁寧さと無慈悲さが足りないためだと思った。そして、リューベン・オストルンドは、その自己分析のとおり、ユーモアと残酷さの両方を持ち合わせている。登場人物にとっては悲劇であることが観客には笑える。それがやはり鍵なんだろう。
 映画の後半、猿みたいな人がディナーに乱入するパフォーミングアートがあるが、美術館の出資者を招いたレセプションのディナーで、あんなパフォーマンスを企画する美術館は、実際にはありえないだろう。だけど、ああいうパフォーミングアート自体はありうるわけだから、もし、それが出資者のディナーで行われたらというのは、とても映画的な表現だった。
 冒頭、主人公がインタビューを受ける中で、美術館のHPの文章の意味を教えてくださいと言われて、「例えば、あなたのバッグを美術館の床に置けばそれがアートなのかということです」と説明する場面について、リューベン・オストルンド自身がハフィントンポストのインタビューで

このような問いは、100年以上前マルセル・デュシャンがトイレの便器を美術館に置いた時から、なされています。しかし、美術館はいまだに同じ問いに執着しているんです。私に言わせればそれはどうでもいいことで、私が関心があるのは、それがなんであれ新しい体験をもたらしてくれるかどうかということなんです。

 マルセル・デュシャンの便器をコンテンポラリーアートの作家たちは神と崇めて、それがすべてのアートの源流だと信じている。そして、事実上、そこから1ミリも動かずにいる。R.Muttとサインされ《泉》と名付けられたその便器は、アートに対する懐疑そのものだった。その懐疑の前に身動きできなくなった連中がすがりたっているのがコンセプチュアルアートである。しかし、コンセプトがあれば、便器がアートになりうるとすれば、その逆流もありうる。コンセプトがあっても便器は便器であることを辞められない。辞めればコンセプトに反するからである。だとすれば、コンセプトがあるかぎりアートは永遠に成立しない。コンセプトが何かをアートに変容させれば、その時点でコンセプトが消失するからである。
 したがって、コンセプトはアートを成立させない。コンセプトはありうるが、コンセプトがあるからアートがあるのではなく、むしろ、コンセプトがあるにもかかわらず、アートがありうる。圧倒的な懐疑を前にしても、人は表現する。問題は表現そのものであり、コンセプトではないことになる。
 ザ・スクウェアは、実際にリューベン・オストルンドスウェーデンノルウェーで行なったアートプロジェクトだったそうである。
 アートという枠があり、一方では映画という枠があり、そして、枠のない現実があり、それらを結びつけようとするメディアがあり、いくつもの枠を出たり入ったりしながら進んでいく、2時間半という時間、観客を逸らさないのは、その際どいスリルであるだろうと思う。

日大闘争についての池上彰の記事

 週刊文春の今週号に池上彰が書いている「日本大学は変わったのか?」を読んでびっくりした。
 途中のサブタイトルに「五〇年前には学生が立ち上がった」とあるので、50年前の「日大闘争(なんて全然知らなかったが)」の時は、学生が大学の不正に向かって立ち上がったんだなと思って読んでたら、そうじゃなくて、学生たちの抗議集会に

体育会系の学生たちが、バットなどで襲撃。報道陣の目の前で一〇〇人以上もの学生が負傷して救急車で運ばれる騒ぎになりました。

 体育会系の学生は反則どころか半グレじゃないか。
 この暴力行為に、当然、学生は怒って、授業をボイコット。日大の柔道部出身の当時の日大のトップに対して、学生は35000人が団体交渉。その結果、経理の公開や全理事の退陣などを勝ち取ったのだが、翌日、佐藤栄作首相が「集団暴力は許せない」と発言。それを受けて、日大のトップは学生との約束を反古にして、機動隊を要請して学生たちを排除したそう。
 池上彰の記事そのままで恐縮だけど、愕然としたので書いときます。