『愛しのアイリーン』

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愛しのアイリーン

 吉田恵輔は、『ヒメアノ~ル』の監督だった。今回の『愛しのアイリーン』も良いけど『ヒメアノ~ル』はすごくよかった。主演の森田剛をはじめ、濱田岳佐津川愛美、そして、何と言ってもムロツヨシが鮮烈だった。

 『愛しのアイリーン』は、たぶん、けなす人はそんないないと思う。ただ、『ヒメアノ~ル』に比べると、原作の漫画の描かれた時代、1995年が、わたしにはネックに感じられた。さすがに四半世紀近く前となると、時代に即している感じはない。具体的に言うと、フィリピンと日本の経済格差って、今そんなにないと思う。

 その時も今も、ほんとにはどうなのかは知らない。でも、時代の気分として、嫁を探しにフィリピンにまで出かけて行くほどの結婚願望が、今、日本の男性にあるかっていうとどうなんだろうと思って、また、もし、フィリピンから嫁さんが来たとしても、この映画で木野花さんの演じる母親みたいな拒否反応になるかどうかというあたりも、今の時代が抱えてる気分とちょっとズレてると感じられた。

 だから、安田顕(主人公の岩男)、木野花(岩男の母)、の熱演にも関わらず、人物がステレオタイプに感じられた。それは、『ヒメアノ~ル』の、森田剛佐津川愛美ムロツヨシ、が、リアリズムから少しはみ出している感じ、「いなさそう」な人たちが「なさそう」なことをリアルにする「映画の魔法」みたいのが、今回は欠けていると思った。「魔法の粉」が少し足りない、という、実は高望みに過ぎないのかもしれない。ただ、アイリーンを演じた、ナッツ・シトイの存在感は光っていたし、安田顕木野花の熱演には文句のつけようがない。

 シナリオが弱くなっているとしたら、河井青葉の演じた、エロ清楚な吉岡愛子さんと、福士誠治の龍昇寺の正宗坊ちゃんの位置付けが、ややあやふやだったのではないか。伊勢谷友介が死んだ後、このふたりが、岩男とアイリーンのそれぞれの相方になるわけなので、岩男と愛子の関係、アイリーンと正宗坊ちゃんの関係が、映画の向かっていく方向とうまく絡み合ったとまでいえない。

 岩男が正宗坊ちゃんを殴るシーンがあるが、あそこはいらないと思う。なくてもつながるし、岩男と愛子、アイリーンと正宗坊ちゃんというバランスが崩れる。何なら、岩男の死体を見つけるのが、正宗坊ちゃんでもよかった。シチュエーションを考えると、正宗坊ちゃんの方が自然だし、何なら、正宗坊ちゃんとアイリーンが見つけてもよかった。何なら、正宗坊ちゃんとアイリーンがやってる最中に見つけてもよかった。

 正宗坊ちゃんはせっかくお坊さんなんだからもっと生臭くあって欲しかった。そうすると、ヤリマン愛子さんとのバランスが取れた。シナリオが弱いと思ったのはそこ。だから、伊勢谷友介が死んだ後、ちょっと失速したと思う。

『超越と実存』についてもう少し考えてみた

 南直哉さんの『超越と実存』は、ほんとによい本だったので、あのあとずっと考えている。
 はたして「私」は超越的な何かを信仰しているかについてだが、阿弥陀仏を人格神として捉えたことは、やはり無いと思う。親鸞聖人も、六字名号を本尊とされて、それまで本尊とされていた弥陀三尊像を廃したのだった。

 このことの意味を私は、今までさほどに重く捉えていなかったのだけれど、たしかに南さんのいう通り、親鸞聖人自身が

自然といふは 、自はをのづからといふ 。行者のはからひにあらず 、然といふはしからしむといふことばなり 。しからしむといふは行者のはからひにあらず 、如来のちかひにてあるがゆへに法爾といふ 。 (中略 ) (阿弥陀仏の )ちかひのやうは 、无 (無 )上仏にならしめんとちかひたまへるなり 。无上仏とまふすは 、かたちもなくまします 。かたちのましまさぬゆへに自然とはまふすなり 。かたちましますとしめすときには 、无上涅槃とはまふさず 。かたちもましまさぬやうをしらせんとて 、はじめて弥陀仏とまふす 、とぞききならひてさふらふ 。弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり 。 ( 『末燈鈔 』 )

と書いているかぎり、親鸞聖人にとっての本尊が弥陀三尊像ではなく六字名号だったのは、今更だけど、確信的な事だったのだ。

 浄土真宗にとっての信心とは、機法二種一倶の深信のことなんだけど、浄土真宗門徒に何か信仰があるとすれば、それは、そうした深信がありうると信じているってことなんだろう。あるかどう知らないが、それがなければ、他もないに決まってるので、他は信じる必要がない。それで一向専念弥陀名号ということになるってことだった。

 それは、超越的なあの世を想定しているのではなく、絶対者を想定しているのでもない。それ以外に何があるの?ってことなんだった。それはやっぱりすごいことだった。

『異なり記念日』

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

 斎藤陽道っていう写真家の存在はワタリウム美術館の個展で初めて知ったんだったが、なんて音楽的なんだろうっていう不思議な感覚の写真だった。

 絵では、ラウル・デュフィとか、パウル・クレーなんかに音楽を感じることがあるが、写真がこんなに音楽的なのは、初めての体験だった。

 この『異なり記念日』は、彼(ろう者だが両親が聴者、なので母語が日本語で、日本手話が第二言語)と、彼の奥さん(ろう者でご両親ともろう者、なので母語が日本手話で第二言語が日本語)との間に生まれた息子さん(両親がろう者だが彼は聴者、言語はまだどうなるかわからない)が3歳になるまでのクロニクル。

 これは、言葉を考えるためにもすごく貴重な本だと思う。奥さんが「いつき」という息子さんの名前を使って、即興で物語を作るところなんて、手話が全然わからなくても、眼に浮かぶようなのだ。こういうあたりにこの人の写真が音楽的に感じられる秘密がある気がする。

 それから、奥さんが染物のワークショップの講師の1人として、幼稚園だったかに行った時、自閉症の子と自然にコミュニケーションが取れてしまうとことか、著者が月夜にお子さんをおんぶして散歩しながら、声を出したくなって、「いつき」という名前が「いい月」に通じているのに気づくととことか、刺激的なのである。

 わたくし、ここのところ、ジャック・デリダの『声と現象』という「フッサール現象学における記号の問題入門」という副題のついた、おっそろしく難解な本を、文庫で持ち歩いて読んでいる。一回読んだだけではわたしには難しいので、何度も読み直すことになっているだけだが、たまたまなんだけど、『異なり記念日』とテーマが似ていたりする。たとえば、斎藤陽道さんが「ことば」と「言葉」に分けて使っていることが、フッサールでは、「表現」と「指標」に当たったりすると思う。

声と現象 (ちくま学芸文庫)

声と現象 (ちくま学芸文庫)

 しかし、一方では、フッサールは身ぶりを言葉に認めようとしない。フッサールはたぶん手話を研究すべきだった。

 斎藤陽道さんは、補聴器をつけるとかすかに聞くことができたため、16歳まで手話を学ばなかった。そのことで、のちに、手話を習い覚える以前のことを回想することが困難になった。「思い出」という言葉の意味がわからない感じが長くあったそうだ。

 これなんか、「現前化」がなかったので「再現前化」も起こらないと言えそうだが、斎藤陽道さんによると、「ない」のではなく、蜂蜜が白く固まって瓶の蓋が開かなくなってる感覚に近いそうなのだ。現に、黒電話や公衆電話をめぐる逸話なんかをiPhoneを使うようになって思い出している。

 そういう斎藤さんの話を聞いていると、すべての言葉は「再現前化」であって、「生き生きとした今」には、そうした言葉も含まれてはいるけれど、その他のすべても含まれているのが当然なように思える。

 「異なり記念日」というタイトルの意味は、近所のスーパーで買い物をしている時、息子のいつきさんが手話で何かがあると伝えようとする。しかし、著者にはしばらく何があるかわからない。いつきさんは店内に「音楽がある」と伝えようとしていたのだ。

 そんな風に、人が少しずつ異なることに気づいていけるのは感動的だと思う。異なりを見つけられるからこそ自己と他者が存在している意味に気づける。著者が毎日の天気をいつきさんに手話で語りかけるようにしたその日から、1日1日が違うことに気づく。毎日が同じことの繰り返しでないことに気づいて愕然とする。

 すべての人が違って、すべての日々が違うことに気づかない生き方はひどく惨めなのだ。

日村さんをフライデーに売った女性はリベンジポルノ防止法違反にならないの?

 バナナマン日村勇紀の「淫行」が報じられてる。
 フライデーの記事では、今年32歳になる女性が16年前に日村さんと関係があったそうで、最初は20代だと年齢を偽って近づいたそうだが、実年齢を明かした後に、一緒にお酒も飲み、肉体関係も持ったそう。

 でも、専門家の記事だと、そもそも16年も昔のことでは、仮に条例違反だったとしても、とっくに公訴時効が過ぎているそうです。

 そして、そもそも淫行条例自体が、その時点で、東京都にはまだなかったそうです。

 女性の地元の愛知県では施行されていたそうですが、ただ、淫行条例は「未成年の男女と恋愛してはならない」という条例ではないので、現に、名古屋簡易裁判所では、32歳の既婚男性が17歳の女子高生と肉体関係を持った事例について、「無罪」の判決が出ています。

 その判決によると、「たとえ合意があっても青少年保護の観点から社会通念上非難に値する行為」

(1)職務上支配関係下で行われる性行為、(2)家出中の青少年を誘った性行為、(3)一面識もないのに性交渉だけを目的に短時間のうちに青少年に会って性行為すること、(4)代償として金品などの利益提供やその約束のもとに行われる性行為

のような場合を淫行としているそうです。

 日村さんのケースで引っかかりそうなのは(3)だけですが、「性交渉だけが目的」だったのかどうかは、全面的に主観の問題ですよね。「短時間」は、その主観に何らかの客観的基準を持たせようとして書き加えられてるだけなのは明らかで、何回かデートすれば、あとはやり放題が許されるなら、こんな条例の意味がないわけです。

 こうした曖昧な部分があるので、そもそも淫行条例(正しくは「青少年保護育成条例」)自体が「違憲」ではないかと、裁判で争われたこともあるそうです。1982年の最高裁判決では

「青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似行為」

と、淫交を規定しているそうですが、先ほどと同じことを難しい言い回しで反復しただけという印象は拭えないと思いますがどうでしょうか。

 淫交条例は、見直すべき時なのかもしれないですね。今回のケースについてのネットでの反応を見ていても、明らかに(ダブルスコア以上で)日村さんに同情的な意見が多い。

 16歳といえば、16年前は女性はもう結婚できる年齢です。結婚できる年齢の女性が、男性と性交渉してはいけないっていう違和感。性行為そのものを罪悪視しているから、こういう変な条例ができるんじゃないでしょうか。

 「青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象」として扱うことが悪だと、先ほどの最高裁判決はいってるわけですが、それが悪なら、たいがいの恋愛は成立しないと思いますけど、違いますかね?。「合意の上」で「自己の性的欲望を満足させる」のが違法なら、それは「セックスが違法」ってことですからね。

 もし、今回の女性が当時16歳ではなく、最初に自己申告していた通り21歳だったら、付き合ってた頃の写真を相手に無断で公にする行為は、ただ単にこの女性のリベンジポルノですよね。

 リベンジポルノ防止法は2014年に制定されています。たとえ、当時、未成年であったとしても、「相手が公開するつもりのない私的な性的画像を無断で」公開することは、リベンジポルノ防止法に抵触するんではないかと思います。もし、淫行条例違反で訴えるなら、写真誌に持ち込まずに、法廷に行かなければならないはずでした。公訴時効が過ぎているから、リベンジポルノ行為に及んだ、が許されるなら、リベンジポルノ防止法自体が骨抜きになってしまいます。

 今回の事例は、淫行条例の公訴時効が成立している上に、そもそも淫行条例に抵触するかどうかもあやふやな事を、出版社が女性の言い分だけに基づいて(お酒を「飲まされた」、セフレ扱いされた、など)、リベンジポルノまがいの行為を行ったという風に見えるのですが、これはリベンジポルノ防止法違反にならないのでしょうか。

『追想』

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 『追想』。シアーシャ・ローナン主演。イアン・マキューアン原作の映画は『つぐない』に続いての出演。
 いかにも新潮クレスト文庫なふんいき。1962年に、童貞と処女が結婚初夜に上手くいかなくて、そのまま別れちゃうって話。

 それだけのことをドラマたらしめているポイントのひとつは、「運命の恋」、「真実の愛」といった疾風怒濤以来のロマン主義の理想が、一回目のセックスが上手くいかなかっただけという事態を乗り越えられないってことじゃなく、何であれ、現実の前に敗れ去ることがロマン主義の願望なんだから、この若者たちの原資にロマン主義以外の持ち合わせがないなら、こうならざる得なかった結果を、この映画は圧縮して見せている。

 とはいえ、「運命の恋」といった衝動に、突き動かされない方が幸せだと思う人はどこにもいない。形を変えれば、誰にでも覚えのある後悔や痛みをこの映画は突いてくる。

 もうひとつはイギリスの階級社会だろう。階級社会というもうひとつの壁が、笑い話になったかもしれない些細な失敗を、乗り越えさせない障壁にする無意識の強い抑圧になっている。階級社会はイギリスに特有のことかもしれないが、そうした社会の抑圧はすべての国にある。そして、そうした現実があるからこそ、現実の掟に縛られる前の、若い頃の恋愛を、現実の向こうにあるべき理想の影として、これはすべての人たちをそれぞれの追想に誘うわけである。

 浜辺の石の大きさで、地元の漁師たちは、自分がどこにいるか分かる、チェジル・ビーチが彼らの新婚旅行先。原題は直訳すれば『チェジル・ビーチにて』だそうだ。石の大きさを見ればどこにいるか分かる。たしかに、後から振り返れば、自分たちがどこにいたか分かる。でも、波に運ばれてる最中の石にはそれはわからない。

 上手くいった恋だけが恋じゃない。敗れ去った恋だからこそ永遠に消えない悔いとして疼き続ける。たぶん、シアーシャ・ローナンの映画としては『ブルックリン』、『グランド・ブダペスト・ホテル」の方が評価が高いかもしれないが、シンプルで忘れがたい映画だと思う。

 以下に、シアーシャ・ローナンのインタビューのリンクを貼っておきます。
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『判決、ふたつの希望』

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 この映画も日比谷まで観に行った。つうのは、そのころ、シャンテでしかやってなかったので。そういえば、『カメラを止めるな!』も日比谷で観た。今は両方とも海老名でやってる。TOHOシネマズ、何?、この感じ。

 レバノンの映画で、監督もレバノン出身のジアド・ドゥエイリというひと、1963年の生まれで20歳のときにアメリカに留学。ハフィントンポストのインタビュー記事を読みながら書いているんだけど、内戦で国内が大変な時期だったので、戦火を避けるって意味もあったみたいなことを言っている。映画の学位を取得して、1998年に初めてメガホンを取った。若い頃は、クェンティン・タランティーノのもとでカメラアシスタントをしていたこともあるそうだ。

 今回の映画は、彼の故国レバノンの首都ベイルートが舞台、キリスト教徒とパレスチナ難民のちょっとした口論が、あっという間に国家を二分する大論争に発展していく。レバノンだと起こりうるんじゃないかという気がする。発端の諍いは、ジアド・ドゥエイリ監督の実体験だそうなんで。

 ジアド・ドゥエイリ監督自身はイスラムスンニ派の家に生まれたそうだが、コーランも開いたことがないという。が、子供の頃からキリスト教徒は敵だと「自動的に」思ってきたそう。同じレバノン人の「元妻」にも共同脚本に参加してもらったと言っている。思い入れの強い作品なのがわかる。その元妻はキリスト教徒だそうだが。

 ハフィントンポストの監督インタビューを是非とも紹介したいと思ったのは、「撮影で苦労したことは?」と訊かれて

彼(笑)。主人公の1人、パレスチナ難民の「ヤーセル」を演じたカメル・エル=バシャさんですね。

と、即答してるのが、なんかすっごい可笑しい。
 この役には、どうしてもパレスチナ人を当てたくて、スカイプで話しただけでキャスティングしちゃったんだけど、ほとんど舞台の経験しかなくて、映画になかなか適応できなかった、と、この監督は思ったらしい。

苦労しながら撮影を進めていきましたが、カメルさんはいちいち15テイクくらいかかってしまう。それに対し、もう1人の主人公、キリスト教系政党の支持者「トニー」を演じたレバノン人俳優のアデル・カラムさんは、1~2テイクで済むのです。

でも、それって、監督の匙加減ひとつって気もしないではないが、

撮影を終了した時は、「カメルさんのせいで、この作品がダメなものになった気がする」と、私は泣きながらプロデューサーに電話しました。作品編集の方にも連絡して、「最後までカメルさんは、映画の演技がどういうものか分からないまま終わってしまった。もう駄目だ」と、泣きついたのです。

 ところが、その半年後、ベネチア国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したのが、その「カメルさん」だった。
 映画を観た人は、たぶん同意してくれるんじゃないかと思うけど、ほとんどモーガン・フリーマンくらいよかったです。

確かに撮影が終わって編集をしていた時に改めて見直してみたら、わりといい演技をしているのかもしれないと思ったのです。撮影期間中は感情的になりすぎていたなと。ただ撮影が終わった直後は本当に落ち込んでしまって、彼のキャスティングの失敗で作品がオジャンになったとまで思っていました。

 何故そう思ったのかって方にむしろ興味がわく。言っていいかどうかわからない、と言いつつ、別に大したことでもないが、「カメルさん」がパレスチナ人だったからだと思う。と、この映画を観ると、何か、レバノン人の心情みたいのが理解できる気がする。というか、この監督の心情か。同じムスリムなので、無意識に厳しく接してしまっているのだ。

 レバノンパレスチナ難民キャンプ(なのかな?)が出てくるんだけど、難民キャンプって言葉で想像する感じじゃない。さすがにレバノンの難民キャンプとなると、冗談でも何でもなく「風格」まで備わって思える。難民キャンプというより、難民街というべきで、「カメルさん」の演じた「ヤーセル」さんなんか、非公式にではあるが、工事の現場監督として働いていて、みんなに慕われてたりする。

 たしかに、国籍とか、市民権とか、参政権とかは難しいにちがいないが、何とか共存の道は見つかりそうだし、そうあって欲しいなと思う。

月岡芳年

 

 中村橋にある練馬区立美術館で月岡芳年の展覧会が開かれている。

 月岡芳年は、太田記念美術館で《うぶめ》も観たし、町田の国際版画美術館でも、魁題百撰相をコンプリートしているし、練馬まで足を運ぶまでもなくはないかと迷いはしたが、やっぱり、月岡芳年ってひとは、江戸と明治の両方を経験した絵描きのなかで群を抜いて素晴らしい。狩野芳崖とこの人が双璧じゃないだろうか。猿田彦を描いた肉筆画を観てそう思った。西洋的な陰影によるボリュームの付け方を、あっけないほどあっさり手中にしながら、「だから何?」くらいな感じは、師匠の歌川国芳が取り組んでいた西洋画研究の成果を受け継いでいるだろう。もちろん、芳年自身の才能が最も大きいとしても、江戸の浮世絵全体が持っていた画題の自由さが、彼に明治を描かせるんだと思う。
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 後に「血みどろ芳年」と言われる残酷絵も展示されていた。「魁題百撰相」は、上野戦争を直接取材したと言われている。だから、血がリアルで、そして、浮世絵師として、それをリアルに描くことにためらいがない。

 会場に子連れ出来ているお父さんがいた。まだ、幼稚園にも上がっていない年齢の女の子に「お父ちゃんはこの絵が好き」とか言って、血みどろの絵を見せていたが、さすがに幼児虐待レベルの行為かと思えた。

 正宗白鳥は、子供の頃に見た地獄絵図が一生のトラウマになったみたいだったが、こういう絵を親に見せられるという体験は、子供の心に、よくなさそう。展示室は分けてあったし、入り口には注意書きもあったが。