遺恨あり

ストの結末について、どうも持ち上げすぎている気がする。メディアが持ち上げている時は、後で落とすつもりだと思って、警戒しておいた方がいい。

「livedoor vs. 楽天」の成り行きについて、「これはいったい何なんだろう?」と、首をかしげていたが、今日ちょっとしたことで、腑に落ちてしまった。プロ野球機構は、堀江社長に「遺恨」を覚えている。「ネ」に持ってるわけだ。

プロ野球チームを持つことは、本業のもうけを社会に還元する一面もあるはずだと、一般庶民である私は思うわけだけれど、どうも、そういう気はさらさら無いみたい。なんか年寄りが、ゲートボール場でつかみ合いのケンカをしている感じ。

昨日書きかけて眠ってしまったが、ナベツネの言動は、丸山真男の分析にすっぽり当てはまる。ことごとに、「プロ野球協約」を持ち出すのは、「権限への逃避」、「すでに決まったこと」と、突っぱねるのは、「既成事実への屈服」。「たかが選手」発言は、「抑圧の移譲」か?「だから?」といわれたらそれまで。

日本に成熟のモデルがない。つまり、尊敬できる大人がいない。あるいは、大人になるという積極的イメージが描けない。このことは、小貫大輔さんの私説ではない。けっこう一般的に信じられている。

考えてみると、規範が「タテ構造を維持するための押しつけ」に過ぎないとすると、その規範の中で成長することは、何を意味していますでしょう?もし、内面に自発的な規範を持っていないとすれば、やっぱり、大人になることはバカになることですわな。

去年か一昨年か、こどもが憧れる職業の第1位が、「大工」だった。上のようなことを考えた後だと、それって要するに、「人」に希望が持てず、「もの」に向き合いたいという心理にとれなくもない。「この社会は戦う価値があるの?」というこどもたちの問いかも知れない。