「日本には成熟のモデルがない」という、小貫さんの言葉を紹介した。たとえば、一生懸命勉強をして東大に入って、政治家になって、派閥の領袖になって、ある日、鏡を見たら亀井静香だった。としたら、ぞっとしないだろうか?グレゴール・ザムザもびっくり。あるいは、ジャーナリズムの世界に入って、読売新聞の主筆になって、鏡を見たら?
個人的体験から例をあげれば、田中角栄だ。収賄で有罪判決を受けた後の選挙で2万二千票の圧倒的得票でトップ当選した。当時の大人たちは、こどもたちにどんな未来を残すつもりだったのか?自ら職を汚した総理大臣に、信任を与えることについて、こどもたちにどう説明したのだろうか?彼らのことは心から軽蔑している。
「民度」という言葉。アジアカップで中国人サポーターが、反日暴動を起こした時に、石原知事が使っていた。「民度が低い」と。しかし、人質バッシングを振り返ってみるとどうなんだろう?こっちも大して、民度が高いとは言えなくないか?低民度同士でけっこう似ているのかも知れない。どちらも教育の成果なのかも知れない。中国は、反日教育。こちらは、画一化された均質教育。そう思えば、案外学校教育も効果かあるものだ。石原都知事も未だに軍国教育の呪縛から逃れられないみたいだし。
小泉首相の評価が定まりにくい、という話を先日したが、見方を変えて、後世の目で振り返ってみると、意味が分からないのは、選挙民の行動の方だろう。もし、本気で「改革」を望んでいるなら、野党に政権を移せばいい。「自民党をぶっつぶす」と言う自民党総裁の言葉を信じて支持し続けました、と教科書に書いてあったら笑ってしまう。
日本は大人になればなるほどアホになるか、もしくは、馬鹿にされる社会だけれど、大人が尊敬されている社会を見つけた。プロ野球の社会だ。ストは、寸前で回避されたが、古田には巨人ファンからもスタンディングオベーション。松井秀喜が、日本とメジャーの違いを聞かれて「選手に対する敬意」をあげていたが、日本でも少なくともファンは選手に敬意を払っている。肝心のプロ野球機構が選手をゴミ扱いしていることは、一連の発言で明らかで、そのことがファンを怒らせている。
考えてみると、ホントは、ナベツネではなくて、コイズミに怒るべきなのだ。だが、コイズミが独断で「多国籍軍参加」発言をしてしまっても、誰も怒らない。一方ナベツネにはほぼ日本中がいきり立っている。
それはたぶん、日本人にとっての成熟のモデルが、長嶋茂雄であり、星野仙一であり、野村克也であるからではないかと思えてきた。こどもの頃憧れた大人をナベツネあたりの薄汚い手でかき回されるのが許せないのではないか?そういえば、プロ野球のひいきチームは、親子で受け継がれていたりするものだ。
オリックス近鉄合併反対のデモを見ていると、プロ野球に対して抱いているような感情を、本当は政治に対して抱いていてもいいはずだ。もちろんそれができないと言うことは確からしいけれど、選挙の度に「誰が選ばれても同じでしょ?」といっている人が、もし阪神ファンだとしたら、今シーズン後には「岡田続投でいいのか?」みたいなことをかなり真剣に考えているはずだと、私は断言する。