先日、吉田健一の『金沢』を倉橋由美子が激賞していると書いたが、その典拠である『偏愛文学館』が手元に届いた。『金沢』はトリをつとめている。このようにある。

明治以降の日本の文人で、この人のものさえ読めばあとはなかったことにしてもよいと思える人の筆頭は吉田健一です。

また

吉田健一の文章は、長くて回りくどくて何を言っているのかわからない、普通の日本語の文章から外れた癖の強い悪文の代表のように見られることがありますが、これは話が逆で、そういう人は日本語、あるいは日本語に限らず、考えたことを正確に伝える文章というものが読めない人ではないかと思われます。


鬼面人を驚かすとか技巧の粋を見せるといったこととは正反対の、当たり前のことを当たり前に書いた文章には何よりも論理の確かさがあります。読点がなくても迷うことなく読めるのもその証拠です。

先日書いたことを思い出して苦笑い。