武相荘

タイヤ交換をした翌日、どこにも出かけないというのもいかがなものかと思うので、かねてちょっと気になっていた「武相荘」てふところを訪ねた。
地図で見れば近いものだが、それは渋谷も同じこと、外出の大半を渋滞の中で過ごすなんてことは避けたいもので、いつもはつい公共交通機関で出かける場所を探してしまう。今日はビッグサイトでフォトイメージングエキスポがあったので、そちらに出かけるという手もあったが、ビッグサイトには来週出かけるつもり。
しかし、武相荘は意外に近くて道も分かりやすかった。武相荘とは白洲次郎・正子夫妻の旧居。パンフレットにはこうある。

旧白洲邸 武相荘オープンにあたって

父・白洲次郎は、昭和十八年(1943)に鶴川に引っ越して来ました当時より、すまいに「武相荘」と名付けて悦にいっておりました。武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因んで、また、彼独特の一捻りしたいという気持ちから無愛想をかけて名づけたようです。
(略)

ふと気が付くと近隣は大きく様変わりしていました。暗くなるまで遊んだ小川、真赤に夕焼けした空にたなびくけむり、あちこちに、ひっそりと咲いていた野花の数々など、すべて姿を消してしまいました。また点在していた茅葺き屋根の家々もほとんどみることがなくなりました。同時に私の両親の様な人々も消え去っていきました。
(略)

田の字型の古い農家の様子を、私はかろうじて記憶している。それも物心付くかどうかのころではあるが、父方の祖父の家が、改築する前までそういうつくりになっていた。今の武相荘は、COCO壱番カレーとユニクロがよい目印になっているが、ここは確かに武蔵野のおもかげをとどめているのだろう。茅葺き屋根の上に三羽の鳩がとまってわき目も降らず盛んに何かをつついていた。
古い家に少しずつ手を入れて住むのが家のあるべき姿だと考えていたそうだ。そういう意味の文章が展示されていたのだが、パンフレットには載っていない。書斎は天井が斜めに低くなっている窓際に文机が置かれ、机の下は掘りごたつのように穴になっていた。窓から間近に咲く藪椿が見える。
白洲次郎氏もそうだが、白洲正子女史にはインテリ女性にファンが多い。今日もそういう女性が一人で訪ねてきていた。知的な女性はルックスのきれいな女性よりずっとセクシーだと思う。少なくとも私はそう思うタイプの男である。めずらしくもないが。
今日はデジカメを持たずに出かけたが、近いということが分かったのでまた来よう。たびたび来るにはやや入場料が高いが、致し方ないだろう。
ちなみに途中でドクターSUDAを見かけた。マイクロロンでおなじみのバイク屋さんである。バハのライトの件でも相談してみようか。