ノン子36歳(家事手伝い)

「ノン子36歳(家事手伝い)」
これが今年の映画納め。
パンフレットには富山の女傑、上野千鶴子女史が寄稿している。
坂井真紀が演じる主人公は、昔テレビタレントをかじったことがあったが、今は親許に逼塞している無職のバツイチ女性。
彼女の親許は神社で、そこのお祭の境内で露店を出したいという若者が訪ねてくる。上野千鶴子いわく「幼い男」だ。
このタイプの若者は、もしかしたらいるかもしれない。そして、かなりリアルかもしれない。
ワルではなく、かといって優等生ではなく、イケメンでもなく、ブサイクでもない。キラキラもしていないし、カゲもない。
口にする言葉といえば、いわゆる「若者の夢」のステレオタイプで、オリジナリティのかけらもない。凡庸さが突き抜けていれば面白いのだけれどそれほどでもない。
ただ、もしかしたらリアルかもしれない。私には彼が、秋葉原通り魔事件の犯人とダブって見えた。あの犯人ももっと若いときは、この映画の若者くらい前向きだったかもしれないのだ。
主人公の父親の存在感のなさもリアルかもしれない。神社の宮司だけれど、お祭の露店を仕切っているのはテキヤで、父親は境内を貸しているだけ。そのこと自体は当たり前だが、この映画の中ではそれは社会のダブルスタンダードを比喩しているように見える。
モラルのケツが割れている社会には、父性の存在する余地はない。日本の父親は(「男性は」と言い換えてもいいかもしれない)社会の仕組みに参画していないのだ。
だから子供たちにイニシエーションを与えることができない。厳しい父親はどこかうそ臭い感じがする。肯定的に言えば、ちょっと滑稽さを感じさせる。
今の世の中、子供たちを社会に巣立たせようとするなら、見よう見まねの父親役を演じている場合ではない。
話題になっている濡れ場シーンだけれど、セックスの情報が氾濫している今だから、映画的にリアルなセックスを描くことができるのだと思う。36歳家事手伝いのリアル。
主人公をめぐる世界は何も変わらなかったが、ただ水面から首を出して周りを見回すことができるようにはなったかもしれない。ただのひよこではなくなったのである。それだけが救いか。
全編ずっと暴力の予感がひそんでいるような、切ないというより切実な味わい。

JRの駅で帰省の新幹線を予約しようとしてみたのだけれど、禁煙席は満席でとれなかった。新幹線ももう全席禁煙でいいだろうという話。
例えば、新幹線に乗っている間コーヒーを飲むなといわれても私は平気ですね。どうしてタバコは我慢できないのか。
ほんとのところはタバコを吸うなとは言わない。煙を吐かなければいいのだ。そんなに吸いたきゃ吐かなきゃいいじゃないか。