百輭先生月を踏む

百〓先生 月を踏む

百〓先生 月を踏む

相模大野に健康診断を受けにいった。人間ドックというので内心期待していたが、普通の健康診断だった。小田急相模大野駅って聞いて、なんとなく越前大野みたいなところを想像していたがぜんぜん違った。そもそも越前大野の方も実際には知らないが、北陸本線の駅なんてどれも似たり寄ったりで、変わらない風景をぼんやり眺めていられるのが、北陸本線で出かける値打ちだろう。「越前花堂(えちぜんはなんどう)」なんて駅の名前が耳に残るだけ。
来週から神奈川新聞を購読することにした。健康診断のために公休をもらえたのだけれど、ちょうど横浜開港祭みたいなことがやっていたらしい。あらかじめ知っていても、出かけたかどうか分からないが、後から気づいたのがくやしい。地域の情報から切れすぎている。せんだって帰省したら、実家も全国紙をやめて神戸新聞に切り替えていた。
久世光彦の『百輭先生月を踏む』を読んだ。作者急死のため未完の遺作。内田百輭は、私が大学生のころ、ちょっとしたブームだった。私も手始めに『ノラや』というのを読んだ。猫が好きなので選んだだけだが、なぜあれを最後まで読み通したのか今でも分からない。当時の私としては、泉鏡花の『春昼』とかの雰囲気を百輭にもとめていた。そんなわけで、それ以来内田百輭にひっかかりができなくなってしまった。『漱石先生雑記帖』が面白かったくらい。
それでも内田百輭ときくと足を止めてしまうのは、鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』の印象が強いからだ。あの原作「サラサーテの盤」もたぶん読んだはずだが、この辺がぴんとこないのは体質の問題だろう。不思議なことに百輭の作品そのものより百輭へのオマージュのような作品のほうが楽しめてしまう。未完になったのは惜しい。