国境なき記者団

国境なき医師団」のパロディみたいだが、「国境なき記者団」というのがあるらしい。記者には医師免許とかの制限がないから、国境がなくてあたりまえとも思うが、そういう突っ込みはノリでけちらす勢いのようだ。


 パリに本拠を置く国際的な報道の自由擁護団体である「国境なき記者団http://www.rsf.fr/は、二大インターネット・サーチ・エンジンのヤフー(Yahoo!)とグーグル(Google)を、「中国政府によるウェブ・ページへのアクセスの取り締まりに協力している疑いがある」として激しく非難した。

国境なき記者団」は、「米国のインターネット運営会社ヤフーとグーグルが中国政府の検閲に直接的・間接的に加担するような無責任な方策を取っていることを遺憾に思う」と語った。各国政府によるインターネット検閲に対処することを目的とする「世界インターネット自由法」が、2003年7月米国下院で議決された。「国境なき記者団」は米国に、抑圧的政権下における企業活動においてもこの「世界インターネット自由法」を適用するよう強く求めた。

国境なき記者団」は、ヤフーが何年にもわたって中国語サーチ・エンジンを検閲しており、検索結果を制御している中国のサーチ・エンジン「百度バイドゥ)」社(http://www.baidu.com/)の株を最近購入したグーグルも同じ方向に進みつつあると危惧している。去年12月、「国境なき記者団」はヤフーの会長兼社長のテリー・セメル氏に訴えたが、何の応答も得られなかった。

「ヤフーとグーグルが中国市場制覇のために妥協していることは、表現の自由を直接、脅かすものである」
国境なき記者団」声明より

7月27日、中国語版ヤフー(http://cn.yahoo.com/)で「チベット独立」の検索すると、検索結果は0件。一方、「台湾独立」で検索すると、独立の動きを非難する大陸側(中華人民共和国)のウェブサイトのみが表示された。 グーグル(http://www.google.com/intl/zh-CN/)で同様の検索を行ったところ、「チベット独立」は0件、「台湾独立」は台湾のサイトを含むリストが表示されたが、アクセスは拒否された。中国の最も著名な反体制活動家(中国民主活動家、現在アメリカ在住)の名「魏京生」をヤフーで検索すると、魏京生に批判的な大陸側のウェブサイトしか表示されなかった。またグーグルでは、「表示不可能」の画面しか出なかった。現在のところ、両社からこれに対する何のコメントも得られていない。

国境なき記者団」はさらに、「他の米国ハイテク企業シスコ・システムズも、中国政府がインターネット、ユーザー、及びメッセージの全てを監視できるよう高度な技術を提供している」と糾弾した。シスコ・システムズは、コンテンツに含まれる反体制的なキーワードを発見する監視システムを構築するための必要なルーターを数千台中国に売っている。

中国政府は長年、西側メディアや、政治・宗教的反体制派、その他共産党政府にとって脅威とみなされる分子に関連する数百ものウェブサイトを検閲してきている。「国境なき記者団」は、米国のローン・クレイナー民主主義・人権担当国務補佐官、アール・ウェイン経済・商務担当国務補佐官宛てにこうした状況を書面で訴えている。

ということは、あの反日デモも中国政府が扇動した、あるいは、少なくとも誘導した、とは言えそうだ。
ちなみに、「国境なき記者団」が、毎年発表している各国の「報道の自由度」ランキングでは、今年日本がアメリカを上回ったみたいだ。さっきうどん屋で見た読売新聞に出ていた。
中国と報道というからみでいうと、最近「ココシリ」という映画が話題で、よい映画の予感がする。ココリコと一字ちがいだけれど。

久しぶりに力のこもった骨太の映画を見ているな、と思った。このリアルな緊張感と透き通ったような映像の空気感が最後まで持続してくれたらいいなと祈るような気持で見ていたが、裏切られることはなかった。 

 テーマもモチーフもストーリーも娯楽映画からはかなり遠いところにある。けれどこの映画が最後まで硬質で魅力的な光彩を放ちながら見るものを引きつけて離さないのは、この映画の本質的な底力にあると思った。たとえばそのひとつはこの映画の 末とその背景が紛れもない事実であるということ。今現在の中国とその周辺を取り巻くさまざまな問題が常にこの映画のまわりに絡んでいること――である。

 中国とチベットとの関係についてはここで改めて語らなくても多くの人はわかっていると思うが、私がこの映画に感銘を受けたのは実にそのことがまず大きかった。長い歴史をもって内包するデリケートな民族問題を背景にしながら中国の映画が今はここまで描くようになったのか、という驚きと賞賛である。

 物語は中国の都会に住む記者が、この映画の舞台になった美しい辺境地域での密猟の実態を取材しに行くという、映画作りでは比較的常套的な展開となっているが、その中国人記者の見る目と私たち観客が見る目とがかなりわかりやすい同一の視座となっているので、この物語の奥にあるいくつかの問題点をかなりストレートにとらえられる。 

 中国語とチベット語が話す相手によってきちんと使い分けられているということを、試写会で同席したチベットの研究者やチベットの人々からあとで聞き、私たち日本人もそのことが理解できたらもっと深くこの世界を理解することができたのだろうなと、もどかしく思った。中国の映画であり中国人の手によるものでありながら、チベット族の血のたぎりや焦燥感やチベット族特有の死生感などをきちんと描いているのにも感心した。

 主人公のパトロール隊のリーダーがやむを得ない事情によって密猟者たちを解放し、しかし厳しい荒野を歩いて運まかせで生還させようとするとき、「仏のご加護を」とつぶやくところなど、民族の心の深みを見事にとらえているように思った。 

 こうした民族の心根をさりげなく描く術は随所に見られ、例えば中国人の記者がウサギの肉を生で食べるのをためらうときにチベット族のパトロール隊が皆で笑う。けれどそれは嘲笑ではなく、むしろ暖かいまなざしで笑っているのもよく伝わってくるし、肉を食べるときに刃物を外側に向けて切るのではなく内側に向けて切るのだと語るところにも、この映画作者の持っている優しく鋭い目を強く感じた。さらに最後の方で思いがけない殺しの展開があり、マーという密猟者が喋るセリフがあまりにも憎々しくやるせなくリアルである。そういうことの細部のひとつひとつにこの映画の鋭さがきわだっていた。

 プロダクションノートにも書かれているように、このすさまじく美しい映画の舞台となった場所は、美しいけれども過酷な自然がむき出しになっている。高度障害によってその美しさが天国の風景に見えるようだという話がよくあるが、私もチベットに何度か足を踏み入れてそれに近いものを感じた。その美しい風景の中の人間たちの、所詮は金と利益をめぐる生と死の葛藤が容赦なく描写され、映画のもっている本質的な力を改めて知り、身震いするような気分になった。 

 これまでチベットを描くテレビドキュメンタリーなどが数多く紹介されているが、そんな一過性の、往々にして表面的かつ恣意的な部分が目立つドキュメンタリーなどよりも遥かに鋭く正確にチベットや中国の現実をとらえているのだなと感じた。

ルー・チューアン監督のインタビュー。なんとなくチューヤンを思い出してしまうけれど。

 チベット語で「青い山々」、モンゴル語で「美しい娘」を意味する「ココシリ」。そこは、海抜4,700メートルの山肌が美しく、想像を絶する程の苛酷な大自然が広がっている。そんな大地で、チベットカモシカの密猟者との戦いに命を懸ける男たちがいた。神が祖先に与え、祖先が自分たちに残してくれたこの自然を、次の世代にも引き継いでいきたい。その熱い思いを胸に抱いた、死と背中合わせの壮絶な戦いを描き上げた真実のドラマ『ココシリ』。今回は監督のルー・チューアンに撮影秘話や作品について聞いてみた。

――“ココシリ”“チベットカモシカ”をテーマに選んだきっかけは?

ルー・チューアン(以下LC)――この映画を撮るに至った動機は、チベットカモシカの密猟を取り締まるパトロールたちの話を知ってとても感動して、広く人々に知らせて記録したい、と思ったのが1つです。もう1つは、私は野心家なので映画学校を卒業後、とにかく今までの中国映画で最高の映画を撮りたい、中国映画になかった作品を撮りたい、と思ったことです。

――撮影に先駆け、チベットの人々との交流に1年を費やしたしたそうですが、そこで得たものとは?

LC――2002年からこの映画の製作に着手しましたが、チベットの人々から非常に多くのことを吸収しました。その頃、ちょうど私は友人二人を亡くし、夜も眠れないほどショックを受けていました。そんな時、この映画の取材のために青海省チベット自治区に行き、そこに住む人々に触れ、彼らの穏やかな暮らしぶり、貧しくて厳しい自然環境の中での生活にあっても、淡々とした穏やかな暮らしを知りました。彼らのライフスタイル、宗教からは大きな力とインスピレーションを得ることができました。彼らとの交流の中で、この映画の方向性を直接的に得られたと思います。物静かだけど内に力を込めている、という彼らそのもの。それがこの映画の方向性です。他にも言い切れない程多くありますが、彼らから得たものは何か宗教に近いものだと思います。もう1つ、人との付き合い方が全く都会の人間と違います。都会の人間のコミュニケーションはまず会話ですよね。でも彼らはほとんど喋らない。お酒を呑み、歌を歌い、という人との付き合い方です。それはまるで石のよう。とても堅固なものを感じました。そして、映画の登場人物たちもそのように描きたい、と思いました。

――パトロールのリーダー、リータイと、カモシカの毛皮を剥ぐ密猟者の間には、善悪の割り切れなさが描かれていると思うのですが?

LC――ココシリに行く前に脚本を執筆している段階で、私は密猟者をはっきりと“悪”だと思っていました。ですが、実際に現地の、18人程度の囚人が手錠でつながれている監獄で、密猟者にインタビューをしたところ、彼らの中には学生や共産党員である村の幹部もいて、密猟さえしていなければごく普通の農民なのです。特に密猟を職業にしているわけではなく、生活の糧のためにやむなく密猟に手を染めてしまったのです。それで、罪を負うべきは彼らではなく、彼らを追い込んだ環境が問題だ、と思うようになりました。ですから、隊長のリータイも密猟者も、悪人として演じて欲しくない、どこにでもいる普通の人間として演じて欲しい、と思いました。

――鳥葬のシーンがありますが、そうしたチベットの人々の生死に対する考え方に触れ、影響を受けたところはありますか?

LC―― 鳥葬シーンの撮影で滞在していた“玉樹(イシュ)”というホテルの窓から、山の上にある寺院を鷹が旋回するのが見え、それは鳥葬でした。人間というのは環境に支配されるので、毎日鳥葬を見ていたら次第に死に対する考え方が変わっていきました。チベット族は死を非常に平静に受け止めます。何故なら彼らにとって、人間は必ず生き返るもの、1つの生命の終わりは次の生命の始まりにつながるものだからです。だから彼らは全く死を恐れず、平静に受け止めることができるのです。そうした彼らの死生観に触れることで私の考えも変わりましたし、同時に非常に神秘的な力を感じ、死に対する恐れもなくなりました。

――カモシカの皮を剥ぐシーン、砂の穴に飲み込まれていくシーン、裸足で川を渡るシーンが衝撃的で印象に残りますが、どのように撮影されたのでしょうか?

LC―― 密猟者たちは各自の役割を決めていて、銃で撃ち殺す係、皮剥ぎ係、と決まっています。皮を剥ぐ担当にインタビューしたところ、数分で1頭の皮を剥ぐことが出来る、ということだったので実際にやってみてもらったところ、本当にあっという間にこなしてしまったので、使ってみようと思いました。もちろん、撮影ではカモシカではなくヤギの皮を剥ぎました。そして砂のシーンですが、深さの違う穴を何個か掘り、少しずつ撮っていきました。最後の一番深い穴のシーンは、3メートル程度の深さの穴を掘り、足場を組み、横穴から砂をかき出す。これを何度も何度も繰り返したのです。役者はとても危険で大変だったと思います。実際、身体は沈んでいくのですから。ワンカットではありませんね。川を渡るシーンは、海抜約5,000メートルの高地にある川ですが、零下5度から10度前後でした。当初、5日の予定が15日以上を撮影に要しました。撮影を始めてみたら、1日に1カットしか撮れない。一度川を渡らせると役者たちが凍えて、そのまま病院に運ばなければならなくなってしまったからです。これではしょうがないので、川べりにテントを立て、一度川を渡ったらテント内で暖をとる、というやり方をしました。これでも1日2回が限度でしたので、時間がかかってしまいました。

――厳しい自然環境から都会に帰ってきて感じたことを教えて下さい。

LC――とにかく早く編集しないと、でしたね(笑)。実際は北京に帰りたくありませんでした。先に北京へ帰ったカメラマンから携帯電話に、「北京にはとても失望した。人もビルもぎっしりで、汚い」とメールがきました。ですから私は十数日間かけて1つ1つ村を旅して、北京へ帰ったのです。それでも帰りたくなかったですね。


チューアンは最後にこう言ってインタビューを締めくくった。「密猟はまだ行われています。だから実弾を持ったパトロール隊員が私たちに付き添ってくれました。そして撮影中に、1,000頭程のカモシカが殺される事件も起きたんです」。