アネクドート

『アフタースクール』は大好評のようだ。
三谷幸喜の顔色なからしめる勢いか。
夜中に『英語でしゃべらナイト』という番組の再放送をやっていて、三谷幸喜が出ていた。自作映画を携えてドイツに行ったとき、舞台挨拶に
「皆さん、私のドイツ語が分かりますか?」
間をおいて
「そうですか。残念ながら、私は私のドイツ語が全く分かりません」
これで、どっかーん。つかみはOK、というやつである。
ロシアでも、ドイツ語のところをロシア語に変えて、同じことをやった。
でも、ロシアでは
「そんなことないよ、よくわかるよ」という、励ましの空気になってしまったそうだ。そういうところ、ロシアって、ちょっと昔の日本に似ている気がする。多分、彼らは、自分たちのロシア語という言語を、とてつもなく特殊だと思っているのである。
ロシア人は笑いが分からないのかというとそうではないと思う。レナ川を遡るフェリーの中では、ヴィクターさんたちは、ちょっとした小話を披露しあっていた。ロシア語は全く分からないので、断言は出来ないが、多分あれがうわさに聞くアネクドートというやつだったのだろうと勝手に想像していた。
三谷幸喜はビリー・ワイルダーに師事していて、晩年、じかに会いに行ったこともあるそうだ。
アパートの鍵貸します』は、周防正行も『Shall We ダンス?』のときに意識していたと書いてあった気がする。

『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)

『Shall we ダンス?』アメリカを行く (文春文庫)

脚本のディテールにこだわる造りこまれた映画は、なかなか国境を越えないのかもしれない。
というのは、ニコラス・ケイジの『ウエザーマン』みたいな面白い映画が日本では公開されなかったからだ。興行収入が見込めないということなのかもしれない。たとえば、『ダーウィンアワード』なんて、私、観にいくつもり満々だったのだけれど、いつのまにか終ってしまっていた。
ライラの冒険』なんて観にいってほんとにばかばかしかった。ニコール・キッドマンが出ていなければ観にいかなかったのである。ニコール・キッドマンの美貌にもだんだん現実が追いつきつつあるという感想しか印象に残っていない。
『ウエザーマン』を見た日の日記を振り返ったので、自転車が盗まれた日付がはっきりした。あの日だったのだ。
実は、先週の土曜日、盗まれた自転車が帰って来た。仕事中に警察から電話がかかってきて、雨だったにもかかわらず、その夜に警官が自宅まで運んでくれたのである。もっとも、折りたたみの小径自転車だったからだろう。
バイクの盗難届けは出したが、自転車の方はあきらめて出していなかった。防犯登録がモノをいったらしい。
あの盗難事件についてはちょっとした後日談がある。盗まれたのは去年末だったが、今年のGWごろ、一夜だけ戻ってきたのだ。
その日、いつもより少し遅く、明け方近くなって帰宅すると、朝ぼらけの駐車場に、盗まれたはずの自転車が停めてあった。時間帯が時間帯だけに、ちょっと我が目を疑ったが、自分で後付した、キャリアや前照灯、そしてワイヤー錠もいっしょだった。
「盗んだやつが返してくれたんだ」と思って、そのまま寝についてしまった。
しかし、目覚めて見に行くと、ふたたび消えていたのである。つまり、返しに来たのではなく、ここで盗んだことさえ忘れていたということだ。あびる優よりふてぶてしい。
私は自分が善男善女だとは思っていないが、モノを盗むことに喜びは感じない。多分、所有欲が使用欲より強いためだと思う。持っているだけで、使っていないというものがいくらもある。たとえば、あのスノーシューはどうなった?ローラーブレイドは?
他人をどの程度まで理解するか、またするべきかは、社会的なテーマであろうが、一般に「人類はみな兄弟」は右翼の心情だろうし、「誰も僕のことを分かってくれない」でショックを受けているのはマザコンの証明だろう。
自転車泥棒の心理なんてわからない。分からなくて幸いだし、特に興味もそそられない。世の中変なやつがいるものなのである。