たみおのしあわせ、近距離恋愛

岩松了が14年ぶりにメガホンを取った「たみおのしあわせ」を、実は昨日の帰路、川崎チネチッタで見てきた。
だから昨日の記事に書いてもいいはずだが、なぜ書かなかったのかというと、昨夜はあそこまでで力尽きているのである。このブログを明け方まで書いているので、休日の朝起きられないのではないかと言われるとなんとも返す言葉がない。
岩松了という名前は演劇界ではビッグネームである。
パンフレットを丸写しすると、89年「蒲団と達磨」で第33回岸田國士演劇賞、94年「こわれゆく男」、「鳩を飼う姉妹」で、第28回紀伊国屋演劇賞個人賞、98年「テレビ・デイズ」第49回読売文学賞竹中直人監督の映画『東京日和』では、第21回日本アカデミー賞優秀脚本賞をそれぞれ受賞している。
演劇にテイストのない私でも名前だけは学生時代から知っていた。なぜその人が14年間映画監督のブランクが空いてしまったのか、もともと映画の人ではないし、いろいろな事情が絡んでいるだろうが、前作の「墓場と離婚」が、こけてしまったのが大きいだろうと推測している。今回もスポット出演している忌野清志郎が主演した異色作だった。実力は誰もが認めていても、一発目がこけると次までが大変だ。
こないだ三木聡監督の「転々」で、すごくいい役どころで物語をひきしめていたので、なんとなくうれしかった。それで、この14年ぶりの新作も絶対見に行こうと決めていた。
舞台は、田舎町の、かつては伸男(原田芳雄演ずる「たみお」の父)の亡妻の父親が医院を開業していた古い家。こじんまりとした、いまどき感じのいい家で、静岡の袋井市に記念館として残っている古い医院だそうだ。この家がなければ、伸男(原田芳雄)と民男(オダギリジョー)の父子家庭は説得力を持たなかったかもしれない。少なくとも魅力は半減していただろう。
監督インタビューには
「・・・ひとつの囲いの中に住んでいる人間が、外から来た悪について悪と認識できないという視野の狭さ、それが人間の普遍的な姿だろうと・・・(略)
家庭っていう狭い世界から見通せないもうひとつの外世界ってことです。それはこの父子に限らず抱えもつ人間の普遍性だろうと・・・」
その「狭い囲い」が具体的イメージとしてすごくよく表現できている家だと思う。その家の外で起こることは、何かひどく悪意に満ちているように感じられてしまう。
たとえば、瞳(麻生久美子演ずる「たみお」の婚約者)が浴衣に着替えるシーンの優しさは、あの家でなければ映像化できなかったのではないか。
それまでの家庭の絆を一旦断ち切って、外界からの変容を受け入れることは、ある意味では変節であり、むしろ「視野が狭い」からこそ可能なのではないかと、ふと思った。
たみおのしあわせの一方で、独身を通してきた伸男の女性関係も動き始める。というか、伸男は少々女性関係にルーズ。
たみおは伸男の関係がうまくいくように望み、伸男は民男の結婚がまとまるように願っているが、ふとしたきっかけから、民男は伸男の知らないことを知ってしまい、伸男は民男の知らないことを、どうやら微妙に知ってしまったようなのである。
つまり、少しだけ、しかもいびつな形で視野が広がってしまったわけだが、このようなこともまた世の中にはよくあることだ。
知らなければうまくいくのか、あるいは、すべてを知っていればなんとかなるのか。いずれにせよ生き続けていく限り、どちらかに踏み出すことになるだろうが、この映画での答えは、夏の草叢に消えていく。テーマは答えの方ではない。
大竹しのぶ小林薫がたくみに憎まれ役を演じている。
監督自身と忌野清志郎がときどき登場して奇妙な対話をさしはさむ。テーマは人間の絆というよりは、確かに、人間のわかりにくさなのだろう。
たみお父子と瞳とその両親が会食するシーンがある。二つの小宇宙がニアミスするような緊張感があり、リアルだった。
暑い日が続くが、湿度がそんなに高くないのか、風があるせいか、クーラーの効いた室内で想像しているより、実際の屋外はさわやかだ。
寝坊を後悔しつつ、実は、また昨日に引き続き川崎チネチッタなのである。
今日は「近距離恋愛」。
観終って気がついたけれど、「たみおのしあわせ」も、この映画も、父子家庭、女にだらしない父親、実父をなくしたヒロイン、結婚式のクライマックスなど、奇妙にシンクロしていた。
どちらも、映画「卒業」のパロディーととれなくもない。ハッピーエンディングはハリウッドの約束事でもあろうけれど、どうして人は「卒業」のラストで花嫁を奪われた側に感情移入しないのだろうか?と、かつて、つかこうへいが言っていた。ひどいトラウマになることは疑いなさそうである。
スコットランドの美しい景色とあいまって、ともすればお伽噺になりそうな物語を、しっかりとつなぎとめたのは、男女ふたりのキャラクターの造りがしっかりしているからだと思う。
ハンナは心の奥ではトムに惹かれているが、そもそもの出会いのときから、トムの女癖の悪さを知り尽くしているので、心のよりどころをトムに求めることが出来ない。
トムもハンナに惹かれている。というか、依存しているといってもいい。しかし、母親を失った痛みと、父親の女癖の悪さを間近で見てきたために、結婚に拒否感を感じていて、ハンナに精神的に依存しながら、セックスには踏み込めない。
そういう二人の性格描写が丹念に描かれているので、観客の心理はいつの間にか、この社会的には自立しながら、内心繊細で臆病な二人に寄り添ってしまう。プロ野球のテレビ観戦と同じく、観客のジャッジはフェアではない。それに、観客のジャッジはスクリーンの向こう側には届かない。しかし、そこまで観客を惹きつければ、映画として上出来だろう。現に惹きつけられた人間が言っているのだから間違いない。
ハンナを演ずるミシェル・モナハンがとてもチャーミング。女性目線のセクシーさがどんなものかよく分からないが、トム役のパトリック・デンプシーは、もちろんいい男だし、男から見て嫌味がない。ラブコメディーの男役には重要なポイントだと思っている。