「K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝」

このところ映画ばかり観ているようだけれど、2月は映画1000円の1日が日曜日、TOHOシネマズが1000円の14日が土曜日。なんかしらないけど、22日の日曜日がワーナーマイカルシネマ1000円。
そして、3月も同じ曜日をくりかえす。この日曜も映画は1000円。「おくりびと」を観にいってもよいところだけれど、上映最終日の「K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝」を観に川崎にまででかけた。まだ風邪が治りきっておらず、マスクをつけているので、めがねが曇ってうっとうしい。
この「K20」怪人20面相・伝が、単に懐古的な乱歩ワールドでないのは、太平洋戦争を回避して、階級制度がそのまま残っているという設定の1949年、帝都東京が舞台なのだ。
私には、この設定が今日的なテーマをはらんでいるように思えて仕方がない。
世界恐慌の後、第二次大戦を回避したら世界はどうなっていたのか。
アメリカの占領という事態なしで日本は自前の民主主義を獲得していたのか。
取り留めない思いが頭に浮かぶなか、スクリーンは、東京タワーみたいなタワーの建つ、パラレルな東京上空を滑り出す。だが、貧富の差は固定化され、社会は閉塞状況にあるようだ。一方ではトタンで覆われたバラックの貧民街も延々と続いている。
第二次大戦の回避というちょっとドキッとする設定が、二十面相みたいな義賊が活躍する社会背景に説得力を与えている。
この映画は「怪人20面相ビギンズ」とでも言うべき内容で、どうして怪人20面相は生まれたかみたいな、しゃれた話になっている。続編を作ろうとかの色気を感じさせないのもしゃれている。そして、このパラレルな東京がなかなか魅力的なのだ。
もし、続編を作るならば、第二次大戦を回避した、このパラレルワールドのダイナミズムをさらに推し進めなければいけない。それに成功すれば面白いですけれどね。
しかしながら、いろいろ考えても、やっぱり戦争はなかったほうがよかったと思いますね。