K20の世界と斎藤隆夫

もうロードショーが終わりかけていた「K20 怪人二十面相伝」が気になって観にいったのは、たしか、第二次世界大戦を回避できた1949年の日本が映画の舞台だと知ったためだったと思う。私たちはあの戦争を起点として自分たちの社会を考えることが多い。だからもしあの戦争がなかったらと考えてみることはとても魅力的だと思ったのだ。
今にして考えてみると、しかし、あの戦争がもし回避できたとしたら、それは、近衛文麿が軍部の暴走をずるずると事後承認しなかったら、ということであり、それは、斎藤隆夫がいわゆる「粛軍演説」で主張したことが受け入れられたら、ということなのだった。
斎藤隆夫は、政党政治を学ぶために弁護士の職をなげうち渡米した人だ。
明治憲法は、もしファシストが曲解しさえしなければ、そのもとでイギリスのような立憲君主制を行なえたかもしれなかった。そしてそうなることはむしろ理想的だったのではないかと思うし、当時もそう思っていた人も多くいたはずだろう。
明治維新がいわゆる文明開化であって、必然的進化であったとしたら、日本の政治が明治憲法下で政党政治を発展させていくのはむしろ自然だったはずなのである。
なのに、一官僚組織にすぎない軍の暴走を止められなかった政治の未成熟については考えてみる必要がある。
今日、小沢一郎民主党代表を辞任したが、これは私の目には、明らかな検察の暴走を、マスコミが批判するどころか煽りたて、世論をミスリードした結果としか見えない。
また、このような明らかな民主主義の危機に際して、断固として戦い抜こうとしなかった民主党の態度にも失望を感じる。
今度のことが暗い世の中の幕開けにならないことを願う。