天皇即位について

 いまの日本でリベラルな政治勢力はどこにあるのだろうと探してみると、なぜか天皇家が思い浮かぶ。現に、今の上皇生前退位をめぐる、安倍政権との攻防は、民主党政権交代などより、はるかに重要な歴史的な事件だったと思えるのだがどうだろうか。
 岸信介の孫として安保の時代を経験した安倍晋三には、抜きがたい庶民蔑視があるだろう。そして、その蔑視は民主党政権の無様さによって確信になったろう。が、ひるがえって、その蔑視が彼自身の政治思想の欠落そのものでもある。日本会議がもし彼の政治思想だというなら笑うしかない。
 しかし、日本の過去の政治家の誰が思想を持っていたのか。どのくらい遡れば、日本の政治思想というべきものに出会えるのか。と考えると、かなり深刻な気持ちになる(もし、石原莞爾の「日蓮主義」というなら、それもけっこうなブラックジョークだとおもう。そのおかげで何万人が死んだのか)。
 江藤淳の『近代以前』の記述だと、藤原惺窩と林羅山儒教朱子学徳川時代の政治思想として定着させたという書きぶりだった。しかし、その為政者の政治思想が、一般庶民の生活に倫理観として定着したかといえば、それはたぶん江藤淳も信じていないのだと思う。あの時も引用したけど、もう一度。
 江藤淳は、幕末のお伊勢参りの熱狂についてこう書いている。
「私はこういう和藤内の姿に、日本人の不幸の投影を見ないわけにいかない。それは、自らの感情の充足と、"普遍的"原理の受容とのあいだにいつも背馳するものを感じつづけなければならなかった民族の不幸である。あるいは中国文明という巨大な自律した文明の周辺にあって、つねにそれとの対比の上で自分を眺めなければならなかった民族の感情生活に生じたひとつの緊張である。外圧が加わったとき、この緊張は極点に達し、逆に現実には決して存在し得なかった幻影の国家ーーー自足した、感情生活の充足がそのまま“普遍的”な原理の確認になるような国家を夢みさせた。そして、現実世界を律する朱子学的秩序の枠をぬけ出た江戸期の日本人がこの幻影の国家を追い求めて行くと、彼らは「伊勢」に出あったのである。」
 このお伊勢参りの熱狂と明治維新は、庶民感情のなかでは、リンクしていると思う。
 明治の志士たちが掲げた「王政復古」という理想は、パッションの上からは、江藤淳の言っている「伊勢」だっただろう。そのパッションは幻影の国家を夢想させはしたけれど、その夢想の核は何かといえば、ただ、日本の正統な国家元首は、徳川でなく天皇だといっているだけなのである。なぜ、それだけのことがパッションになり得たのか、今の私たちにはちょっと理解しがたい。
 しかし、そのことは、とりもなおさず、先の江藤淳の分析の正しさを裏付ける。明治維新という革命のコンテキストには、現実の生活に根差した改革の欲求があったわけではない。何のために、明治維新が必要だったかは、今の価値観から見ると、何とも曖昧であるように思う。外圧がなければ起こらなかったことなのかもしれない。
 それでも、現に命のやり取りをして「王政復古」を勝ち取った明治維新の志士たちは、その夢想にリアリティを感じていたにちがいない。しかし、その夢想に社会がどうあるべきかの思想がない以上、現に社会変革を進める上で、「王政復古」は指針にならないのだから、次の世代には、「天皇」が、ただの飾り、コマにすぎない扱いになるのは必然だった。
 昭和天皇立憲君主としてふるまったにもかかわらず、官僚たち、なかでも陸軍は、天皇を取り替え可能なコマとしか見ていなかった。その結果が中国大陸における軍の暴走であり、その暴走を許したのは、政治思想の欠落だったのであれば、そうした政治思想の欠落をこそ悔いるべきなのである。
 実は、戦争をそのように悔いたのは、天皇だけだった。明治維新の志士たちが、その正当性を天皇に丸投げしたように、左翼は戦争責任を天皇に丸投げした。それを丸投げされた天皇は、この国の思想の貧弱さを痛感したはずである。
 右翼や旧軍部は戦争を反省などしていない。そもそも反省するような頭の持ち合わせがない。辻正信の戦後の行動をみていればそれは分かる。左翼が自分たちに戦争責任がないと考えるのはまっとうなこととしても、それではなぜ、天皇の戦争責任をいいつつ、辻正信のようなノモンハンの責任者が目の前に、国会議員として立っているのに、そいつを殴り殺さなかったのか。イスラエルモサドは、世界の果てまでナチの残党を追いかけたのに、戦中に投獄されていた共産党の連中は、なぜ、旧軍人たちをひとりずつ暗殺していくかわりに、天皇の戦争責任などという、うつろな標語をぶつくさいうだけだったのか。
 戦後、日本の左右の陣営の諍いは、米ソ冷戦の場外乱闘のようなものにすぎず、「天皇の戦争責任」は戦中の「現人神」と同じような、便利な呪文のようなものに過ぎなかったと思う。日本の左翼思想などというものが、徳川時代儒教思想以上にうわついたものだったことは、議論の余地もないと思う。日本の左右対立もまた明治維新のように外圧の帰結に過ぎなかったのである。
 考えてみれば、明治天皇以来、歴代の天皇はすべて、立憲君主としての立場を厳守してきた。それなのに、政治家が立憲的になれない。骨粗相症のような、構造的な政治思想の貧弱さがこの国をがたつかせ続けるのだろう。