『聖断』

聖断天皇と鈴木貫太郎 (文春文庫)

聖断天皇と鈴木貫太郎 (文春文庫)

 半藤一利さんが亡くなったと報じる新聞記事にこの本について書いてあったので。
 『日本のいちばん長い日』は2度映画化された、半藤一利さんのもっとも知られた仕事だと思うが、発表当初は、「大宅壮一編」と著者名を伏せて出版されていた。まだ無名の著者を右翼の暴力から守らなければならなかった。
 その本の取材の為にインタビューをとったインタビュイーの存命ギリギリといった時代になってさえ、そんな日本の状況だった。ましてや戦時中に吹き荒れた右翼の暴力がどうだったか。
 広島と長崎に原爆を落とされても、戦争が終わった解放感の方がはるかに優っていたという、当時の人たちの実感からも、軍部と右翼がその力の源泉としていた恐怖がよくわかる。
 軍部や右翼が「君側の奸を除く」と称して惨殺してきた政治家や軍人には「この人が生きていれば」と思う人が多い。高橋是清原敬犬養毅。著名な人たちだけでなく、国内外で、いったいどれくらいの人たちが軍部や右翼の暴力で殺傷されたかを思うと怒りがわいてくる。
 鈴木貫太郎二・二六事件で瀕死の重傷を負った。この人がその時亡くなっていたら戦争を終わらせることすら覚束なかっただろうと思われる。
 『聖断』は、鈴木貫太郎の生涯をつづった本だ。ほぼ何の戦略もなく、青年将校の謀略で始められ、野放図に拡大した戦争を終わらせるのが、如何に大変だったかと知らされる。
 戦争を終わらせられたのなら、なぜ始まる前に止められなかったのか、といった批判を、天皇の戦争責任についての議論で聞いたことがあった。それはあまりにもお気楽な空論のいうべきものだ。そもそも始まった時は戦争ですらなかった。満州事変、支那事変という謀略だった。
 その首謀者だった石原莞爾の小賢しさに対して、戦争を終わらせた鈴木貫太郎の賢明さは、最近、アメリカで吹き荒れている衆愚政治の有り様と思い比べて、哲人政治を思わせる。
 タイトルの「聖断」にあるように、戦争を終わらせたのが、結局、超法規的な手段だった事実には、考えさせられる点がある。
 二・二六事件に対処した時と、戦争を終わらせた時、この2度だけが昭和天皇立憲君主の立場を踏み外したときだった。もし、昭和天皇立憲君主ではなく絶対君主だったら、そもそもあの戦争はなかった。
 半藤一利によると、日本の天皇は、「軍人勅諭」の大元帥明治憲法の「天皇」の二重性に引き裂かれていた。それがシビリアンコントロールを失い、軍部の独走を招く原因となった。
 それを言えば、明治維新がそもそも「王政復古」と「文明開化」に引き裂かれていた。三島由紀夫が自決の1週間前のインタビューで、「海軍は最初から文明開化ですね」といい、しかし、彼自身は、「陸軍の暗い精神主義」に惹かれると語っていた。
 しかし、私は思うのだけれども、陸軍の在り方がどんな意味でも精神主義なだと呼べるものだったろうか。ただの倒錯した独善的なナルシシズムにすぎないと思う。
 三島由紀夫でさえ、彼の知識や意識の外側にあるものの方がはるかに大きく、彼の行動を決定していたと思われる。軽々に何が正しい、何が間違いと論じ去ることは難しい。
 ただ小賢しさと賢明さを比べると、賢明さの方には不確実さを許容する余裕があるように思った。