明治以来の中央集権化で崩壊した地域コミュニティーをどう回復すべきか

 台風19号につづいて、また大雨で千葉で人が亡くなった。
 今回の災害についてまずいと思う最大の点は、日本のコミュニティーの崩壊が、あまりにも露わになったことだと思う。
 1995年の阪神淡路大震災では、役人は何もしなかった、すべきことすらしなかったが、すくなくとも、人々はお互いに助け合い、ボランティア元年と呼ばれた。
 それから四半世紀が経って、この台風被害では、被害にあったタワマンを見て、ネットの住民がsnsであざ笑い、そのタワマンに住んでいるセレブは避難所で、助けを求めてきたホームレスを追い払うという、あさましいというしかない地獄絵図が展開されていたらしい。
toyokeizai.net

 この地獄絵図がつまりコミュニティーの崩壊なんだが、この言葉、最近どこかで聞いたなと探してみた。
www.washingtonpost.com
これだった。
「more and more Japanese towns and suburbs have become “dying communities” 」
日本語訳は
blog.tatsuru.com
 日本に住んでいて、一番恥ずかしいと思うのは、慰安婦問題とかでは全然なく、難民の受け入れを事実上拒否していることだ。絶望的に恥ずかしい。
www.nippon.com
hbol.jp
 この問題の根っこを掘り下げていくと、廃仏毀釈にまでたどり着いてしまう。もちろん、寺院の側も、すでに腐敗していたということもあった。しかし、死とセックスを社会と結びつける宗教を無理やり解体して、中央集権化する政策は副作用が強すぎた。
 その時まかれた種は、皮肉にも戦争で国が根こそぎ崩壊したために、戦後、実を結ぶことになった。1940年体制という戦時下の統制体制が、戦後復興を動かしたことは、野口悠紀雄の分析だった。

1940年体制―「さらば戦時経済」

1940年体制―「さらば戦時経済」

 
 つまり、国家神道は、地域コミュニティーを破壊する癌細胞の細胞核なのである。
 固結びになっている中央集権体制をときほぐして、地域コミュニティーを再生していかなければならない転換期に、日本会議などという時代錯誤の国粋主義者が、政治の中枢に巣くっているのは、悪夢というしかない。
 地域コミュニティー再生のためにも、難民を受け入れるべきなのである。世界規模で、難民は大量に発生しているので、彼ら自身が、ひとつのコミュニティーなのである。150年も前から、徐々にコミュニティーを失ってきたわたしたちは、彼らから、コミュニティーについて学びうると思う。