「希望のかなた」

knockeye2017-12-11

 ユーロスペースアキ・カウリスマキの「希望のかなた」。
 個人的には、日本政府はもっと難民の受け入れに前向きであって欲しいと思っている。第二次世界大戦で国際社会に負債を負っている日本なのだから、いくらかでも国際社会に貢献できる機会があれば逃すべきでない。中国残留孤児の問題でも、受け入れて放置したかの印象があるが、本来ならもっと手厚いサポートがあるべきだったと思う。
 幸い、というとおかしいが、今はクロダノミクスでお金をじゃぶじゃぶ注ぎ込んで、使ってもらおうと苦労しているところなんだから、basic incomeを制度化すればよい。そうすれば国内の困っている人も当面助かるのだし、難民もとりあえず糊口をしのげるのだし、ということは、必然的にお金を使うのだし、千や二千のレベルではなく何万というレベルで受け入れれば、自然にコミュニティーが形成されるから、難民同士でなんとかやっていけるようになる。ケチケチ受け入れると社会的に孤立してしまうし、日本人との軋轢も起こる。大量に受け入れるのが良い。大量に受け入れれば経済効果も大きい。それこそ、インバウンドなのだ。原資は税金だが、すぐに還流するし、菅政権の時に話題になったナントカ効果も期待できる。
 安倍政権はいま、企業に給料を上げさせようと躍起になっているが、そういう回りくどいやり方でなく、直接国民に金を配ればよいのだ。一回だけ配るのでは貯金してしまう。ずっと配り続ければ絶対使う。ましてや難民は絶対使う。使わざるえないのだし。それに難民って言っても、もともとは祖国で普通に仕事をしていた人たちなのでホームレスとはわけが違う。だから、大量に受け入れて彼ら自身のコミュニティができればその中で彼ら自身の需要に応じて仕事が生まれる。コミュニティー内でルールができ秩序ができる。難民は大量に受け入れるのが吉なのだ。
 高遠菜穂子さんが生きて帰って、後藤健二さんが殺されたのは、高遠菜穂子さんのときは、テロリストと言っても、まだ地域社会とつながっていたからなのだ。戦争で家族を失ったおじさんたちだったからこそ、現地の宗教指導者を通じて交渉できた。後藤健二さんを殺したのは、そもそもアラブ人ですらない。まったく、コミュニティーから孤立した、テロ志向の「外人」だったのである。
 もちろん、難民の受け入れには多かれ少なかれ軋轢が生じるに違いないが、それを乗り越えられない社会は、だんだん弱体化することも間違いない。難民は大量に受け入れてほしい。そして、同時にbasic incomeを実現してほしい。無能な銀行員に貸出先を探させるより、金を直接国民に配った方が手っ取り早い。
 消費税を上げるにしても、ただあげれば消費が冷え込むのは間違いない。basic incomeとセットで消費税を上げるのが良策だろう。basic incomeは、破綻した年金制度の代替策という一面もある。
 したがって、難民を受け入れると同時にbasic incomeを実現すれば、国際社会に対する責任も果たせるし、税収も上がるし、年金問題にも目処がつくし、良いことづくめである。
 ところで、これが映画の感想かと言われると、アキ・カウリスマキもそもそも映画の出来なんて気にしてない。とにかく難民問題をなんとかしたいと思っているだけなのである。