右と左はどう違うか

knockeye2014-03-05

 昨日、途中でねちゃったので続きを書くけれど、日本の戦後ずっと、右翼vs.左翼、みたいな言論の対立が、さもあったかのように語られているけれど、私にはそうは見えない。自民党社会党が平気な顔して連立政権をくむわけだし、ゴルバチョフが「最も成功した社会主義国家」というとおり、日本は右も左もない。野口悠紀雄が『1940年体制』で分析したように、日本の政治を実際に動かしているのは、ほとんどオートマチックな官僚制度のようである。
 それでは、「右翼」とか「左翼」とかいっている、あれは何かというと、それは昨日の記事に書いたことの続きになるのだが、日本では、明治以降、権力と権威が乖離している。
 明治維新は、王政復古ということになっていて、つまり、天皇が政治を行うことになったはずなのだが、そんなことを本気で信じているものは誰もいない。実際は、薩長の実力者、明治の元勲が仕切っていたに決まっている。
 徳川幕府には権威の裏付けがあったのか、といえば、逆説的に、それがあったからこそ、大政奉還王政復古が可能だったと言えるだろう。言い換えれば、天皇という権威なくしては、明治維新は不可能であったにもかかわらず、現に政治に関わった薩長政府の元勲たちは、その上部構造を方便として軽んじた。
 こうして、権力が権威の裏付けを持たず、権威が権力に対して無効であるといった、奇妙なパラレル状態がうまれたわけだが、しかし、明治初期には、権力が権威を持たなかったのかと言えば、実は、明治維新そのものが、ひとつの権威だったと言っていいのだろう。270年続いた徳川幕藩体制を打ち倒して近代化を成し遂げたそのこと自体が、つまり、明治の元勲という存在そのものが、権威であったはずである。
 明治という時代に、わたしたちが何か明るさを感じるのは、表向きはどうあれ、国民全体に共通する権威が存在していたことが大きいのかもしれない。
 昭和の軍部のグロテスクとしかいいようのない暴走は、明治の元勲という、実効的な権威が権力に対して失われたことが、その本質であるかもしれない。裏付けのない権力はそれ自体がグロテスクなわけだから。
 戦後、天皇の権威に代わるべきものは言論だが、言論が権力に対して有効だったという政治的経験をわたしたちはしているだろうか。
 こう考えてくると、日本でいう「右翼」とは、権威の裏付けのない権力であり、人はこれを「現実的」と呼ぶ。これに対して、「左翼」とは、権力に対して無効な言論であり、現状、人はこれを「リベラル」と呼んでいるようだ。
 例を挙げれば、東京都知事に立候補した田母神氏は、自他共に認める右翼なのだろうが、どういうわけか原発推進派なのだ。思想的に右翼であることは、原発推進と何の関係もないはずだが、日本での右翼は、単に既得権益者を指すので、右翼の田母神氏は原発を推進する。
 また、原発反対を訴えて政治家になった山本太郎は、今「TPPに賛成の人は出ていってくれ」と言っているらしい。原発廃止について、戦略的にも本質的にも、TPPは何の関わりもないはずだが、権力に対して無効な言論であるという意味で、彼は今、日本で「リベラル」といわれる人たちに仲間入りしたわけだ。
 このように、権力と権威の乖離について、日本の右翼と左翼は共犯関係にあると言っていいだろう。右翼は権力が言論の裏付けを持つことを拒み続け、左翼は、言論が現実の権力に近づくことを忌み嫌っている。
 右翼でも左翼でもないまともな人たちは、公共心を礎とし、正確で真摯な議論を現実の政治に反映させていく、ごくごく一般的な民主主義社会を望んでいると思う。
 その実現のためには、もうすこし成熟したジャーナリズムの存在が不可欠だと思うが、朝日新聞の「従軍慰安婦」騒ぎの経緯を見るかぎり、日本の新聞は、むしろ、民主主義の障害となっているとといっても、そんなに反論は出なさそうである。