野中広務 差別と権力

knockeye2009-09-18

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

かなりきな臭く、また生臭い読書になった。しかし、優れたルポルタージュだと思う。
麻生太郎が選挙に出馬した第一声に「しもじものみなさん」と発したということを、私は野中広務のテレビでの証言から知ったが、彼が本当にいいたかったことは、むしろ、
「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」
という麻生太郎の発言だったのだろう。
この発言に対して、野中広務はもちろん泣き寝入りはしていない。最後に出席した自民党総務会で特別に発言を求め、このことを指弾している。
麻生太郎の発言には、彼の総理就任以来、あ然とさせられるものが多かったが、こういう人間だったのだと知れば、むしろ納得がいく。そして、こういう人間を総裁に選出した自民党も、もはや根っこから腐敗していたといっていいのだろう。
差別と戦いながら身を立ててきた野中広務の人間には魅力を感じるが、政治家としてはあくまで1955年体制の枠の中でしか輝きをはなてない存在だと思う。
特に、細川政権をつぶすために、社会党と手を組む権謀術数は、政権交代が実現した今から見ると実に生々しい。
あのとき、新進党民社党が会派を組もうとしたことに社会党が反発したことになっていたが、実は、野中広務村山富市の間で事前に話がついていたのだ。
しかし、そういう自民党社会党の馴れ合いを何のためらいもなく白日のもとににさらすことこそ、野中広務の限界を示していると思う。
鳩山由紀夫がさきがけを飛び出したときは、その排除の論理に違和感を覚えたものだったが、そういう裏事情を知ってみると、なるほど排除されても仕方ないかと思えてくる。
ほとんど総理の座に手が届く立場にいながら、野中広務が逡巡したのは、部落差別もあるだろうし、支持基盤の弱さもあるだろうが、やはり、彼はたたき上げの土建屋政治家にすぎず、国のグランドデザインを書き換えなければならないというときに、指導者に必要な創造性はもっていなかった。
そこが、細川政権をめぐって死闘をくり広げた小沢一郎との違いだろうと思う。
文庫版の巻末に付け加えられた、魚住昭佐藤優の対談も刺激的だ。
佐藤優鈴木宗男の参謀的な位置にいるし、鈴木宗男野中広務の片腕というべき存在だった。それを思えば、なぜあの国策捜査が行なわれたのかが、政治力学上非常によく分かる。佐藤優鈴木宗男を排除することは、野中広務の力を決定的に削ぐことだったのである。
鈴木宗男が外交委員長に選任されたことについて、自民党が批判をしているらしいが、おそらく自民党鈴木宗男を恐れている。そして、官僚も。
麻生太郎のような人物を総裁に選出した、そういう体質から目を逸らしている限り、自民党が今後政党として再生することは不可能だろう。他人を批判している場合ではないと思う。