ナチスに学ぶ

knockeye2013-08-02

 麻生太郎財務大臣が、「ナチスに学ぶべき」と発言したと、日本のマスコミが報道したことが、中国、韓国でも報道され、ついにはアメリカのユダヤ人人権団体から釈明を求められる事態になった。
 橋下徹が「従軍慰安婦は必要」と発言したという報道から、中韓米に広がりを見せた伝言ゲームを思い出させる。
 日本のマスコミはあいかわらずで、今回の場合は、自民党参院選で大勝したとあって、自民党の政治家の足を引っ張ってやろうと、四六時中貼り付いて、耳をそばだてていたに違いないだろう。政治家の発言の中に彼らが探しているのは失言だけのようだ。
 一連の報道の発端となった29日の講演の要旨が新聞のサイトにあったが、

そもそもこれを「ナチス憲法発言」と名付けている時点で報道する側の主観が入っているについては言わないとしても、まず

 ドイツのヒトラーは、ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法(の下)で出てきた。憲法が良くても、そういったことはありうる。

と、これは敢えて言い換えるまでもなく、‘良い憲法のもとでもヒトラーが台頭した’とした時点で、すでにナチスを否定しているのは明らかだ。それに

 憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。


 「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。

と続くのだが、この段落、句点、読点は、なぜこうなっているのか?。たとえば、

 憲法の話を狂騒の中でやってほしくない。靖国神社の話にしても静かに参拝すべきだ。「静かにやろうや」ということで・・・。


 ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった、あの手口を学んだらどうか。

とすれば、ニュアンスは変わる。
 新聞サイトの文章では、‘「静かに」憲法を変えよう’と言っていることになるが、下のように句読点を変えると、‘「静かに」議論しないと、狂騒の中でいつの間にか変わったワイマール憲法の轍を踏む’と言っていることになる。
 ひとこと指摘させてもらえれば、‘「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。’という論は聞いたことがない。これを書いた記者は疑問に思わなかったのだろうか?。
 講演はあくまで話し言葉なのだから、その録音をそのまま書き起こしたからと言って、発言の主旨を捉えたことにならない。もし曖昧な点があれば、本人に確認してから記事にすべきではないか。テープから書き起こしたものをそのまま全世界に発信しておいて、その後で、釈明会見をさせるなどということをくり返しているかぎり、日本のマスコミ(すでにマスゴミと呼ばれている)は、信頼を失っていくだけだろう。
 最近、わたしのところの自動リンクに「池上彰従軍慰安婦」という言葉が引っかかってくるようになって、何だろうと思っていたのだが、どうやら、池上彰が、自分のテレビ番組で「従軍慰安婦」問題をとりあげて、かなり詳細に解説したらしく、それがYouTubeにアップされている。

 でも、これって、確かに言葉遣いは丁寧だし、そのことの重要性は認めるものの、あの橋下徹の発言の主旨と、どれほどの差があるのだろうか。すくなくとも、あのころのマスコミ上げての‘橋下徹大バッシング大会’の代わりに、こうした冷静な議論が行われていれば、わたしたちが失わずに済んだ名誉もあるのではないか。もしかしたら、大衆の扇動という点について、日本のマスコミは、とっくにナチスに学んでいるのかもしれない。