不寛容について

knockeye2014-02-19

 「どんな理論も、日々占領地域を拡大して匍匐前進する‘不寛容’の前には無効でしかない」
 「知識人たちは野蛮な不寛容を倒せない。思考なき純粋な獣性を前にしたとき、思考は無力だ」
 ウンベルト・エーコが1997年に書いた『永遠のファシズム』から、青木理という人が、ある週刊誌の記事で引用していた。
 この「不寛容」が、どんな文脈で引用されていたか、最近のさまざまな出来事を思いうかべて、あててみてください。
 ヒントをあげましょうか。次の選択肢のうちのどれかです。
1、テレビドラマ「明日、ママがいない」からすべてのCMスポンサーが撤退した事。

2、図書館で連続する『アンネの日記』が破損される被害に対して、アメリカのユダヤ人団体が「衝撃と強い懸念」を表明した事。

3、米在住の日本人団体が、慰安婦像の撤去を求める訴訟を起こしたこと。

4、先の都知事選で田母神俊雄氏が61万票を集めたこと。

 自分でクイズ作ってみてわかるけど、たしかに正解は文字数が少なくなるな。
 しかし、「不寛容」は、ネットが世界を高速でつなぐ時代に、重要なキーワードになっているなと気がついた。
 もし、徹底的に不寛容であり続ける決意を固めるつもりなら、世界にどんな選択肢が残っているだろうか?。
 わたしは、田母神氏や百田氏のように「南京大虐殺はなかった」というつもりはない。大陸での残虐行為の証言は枚挙にいとまがないし、十分に信用できると思っている。
 しかし、「不寛容」という言葉をキーワードにして世界をみつめて、「不寛容」に対抗しようと思ったとき、できることは何かといえば、リベラルであることだと思っている。常にニュートラルであることが必要だと。
 だから、橋下徹慰安婦について「証拠もないのに謝るのはおかしい」と発言したとき、正しいと思った。もういちど、あの発言の時点に戻るけれど、あれは、安倍首相が、侵略の定義云々の発言をしたことをうけて、「侵略は認めるべきだけれど、抗議すべきは抗議すべきだ」というのが発言の趣旨だったはずだ。私はこの態度は正しいと思う。
 慰安婦に関しては、強制連行の証拠がないかぎりにおいて、謝罪した河野談話はやはりおかしい。元慰安婦も、何が何でも国家賠償でなければ受け取れないというなら、確たる証拠を明示すべきだ。それが当然だと思う。ロビー活動で国際世論を動かしたりする姑息な手段を執るのは、ウソをついていると疑われても仕方がない。
 菅官房長官が、河野談話についての証言検証チーム設置を検討していることが伝えられたが、いいことだと思う。それで徹底的に検証して、強制連行の事実が明らかになれば、今度こそ本当に国家賠償を、たとえ、どれだけかかったとしてもすればよいのだし、もし、その事実がなかったと明らかになれば、その事実を公表すればよいのだ。
 とりあえずビール、と、とりあえず謝る、は、日本人の悪い癖で、世界では通用しない。松井秀喜は、骨折したとき記者会見で謝って、ニューヨーク市民を驚かせた。
 過去の植民地支配時代における、朝鮮人差別の事実を認めないというつもりはない。それはたしかにあった、というより、従軍慰安婦よりさらに残虐なこともあった。だからといって、証拠のないことまで謝罪するのはおかしいというだけだ。わたしは、そういう態度が田母神氏とか、ヘイトスピーチとかの「不寛容」を匍匐前進させる温床になっていると思う。
 今度の「河野談話についての証言検証チーム設置」のニュースに、朝日は沈黙を守っている。当事者の自覚でもあるということか。
 朝日新聞については、先々日かの記事で‘戦時中から、大衆迎合で一貫している’と書いたけれど、文春の記事は確かに「大衆迎合」でいいかもしれないが、朝日新聞の態度は、もはや「大衆扇動」というべきだろう。自分たちが書いた記事で世間が大騒ぎする、そのことに、ゆがんだ快楽を見いだしているとしか思えない。
 朝日新聞の記事について、今でも思い出して気持ちが悪いのは、「マナーの悪いダイバーたちが沖縄の珊瑚礁を傷つけている」という捏造記事を書いてすぐにばれたことがあった。あのときは、朝日新聞のカメラマンが、自ら、珊瑚礁に落書きしたのだった。
 私にはその心理が理解できない。沖縄の海に潜って、その珊瑚礁を目にして、美しいなとか思わなかったのだろうか。自分で珊瑚に傷つけて、その写真を撮って、ダイビングを楽しんでいる人たちのせいにする。それをして何が楽しいのか?、どんな意味があったのかまったく理解できない。
 今回、森喜朗が「浅田真央は大事なとこで必ず転ぶ」と発言したと報道されて、ひんしゅくを買っているのだが、全文掲載された記事がネットに出て、新聞の報道とはニュアンスが違う、というより、印象は真逆であることが暴露されて話題になっている。
 「全文を読んでもひどい発言にはちがいない」とか言う意見もあるが、問題はそこにはない。部分をつまんで、元の発言とは違うニュアンスで報道することが、報道としてやってはならないことなのだ。
 新聞記者のみなさん、なぜ、そんなことがしたいの?森喜朗浅田真央を非難しているみたいな告げ口して、世間が騒ぐのが面白いの?。
 こうしたことの延長線上に、ありとあらゆる冤罪事件が積み重なっているのを私たちはいくつも目にしている。慰安婦報道だけがそうではないと思う方がおかしい。現に、元軍人の証言は虚偽だった。
 日本のマスコミのあり方が「不寛容」の温床そのものだと私はいいたい。
 橋下徹君が代強要は、私はどうかと思うが、しかし、慰安婦発言の報道に見られるように、そもそもの発言主旨をねじまげて報道して、バッシングのネタにするといったことが、常套手段となっている日本のマスコミのどこにも、リベラルのかけらも見つけられないはずなのに、橋下徹をバッシングして自分たちはリベラルだと思っている人たちは滑稽であるし、なにより、彼らこそ、不寛容なのだ。