デュドネのクネル

knockeye2014-02-20

 「サラの鍵」という映画を、何年か前に観た。ナチスユダヤ人根絶計画に協力したビシー政権が、フランスからアウシュビッツに送り込んだ、ユダヤ人の少女を描いた映画だったが、今にして思えば、サラがクローゼットに弟を隠すのは、フランス人にとって、隠喩というか、置き換えられたイメージというか、そういったものだったのかもしれない。
 ビシー政権がアウシュビッツに送り出した7万7千人のうち、生還できたのは2500人にすぎなかったが、フランス政府がビシー政権の責任を認めたのは、1995年のことだった。
 あの映画のパンフレットには、「それでも、ユダヤ人にとって‘アジール’といえる場所があるとすれば、それは今でもフランスである」と書かれているのを、私は何となく、羨望の混じったため息をつきながら読んだ。
 そういう記憶がまだ新しいので、今週のニューズウィークに特集されている「フランスに渦巻く反ユダヤ主義の憎悪」という記事には衝撃を受けた。刺激的な反ユダヤ的ギャグをネタにする、デュドネ・ムバラ・ムバラというコメディアンが、公的な非難を受けながらも、あるいはそのために余計なのかもしれないが、人気を博しているそうだ。
 まさかと思ったけれど、記事で背景を知ってみると、そうなのかもなとも思えてくる。
 これは、フランスにかぎらないのかもしれないが、いまや、反体制的であることは、反グローバリズム的であることで、それは、反アメリカであり、反ウォール街であり、つまり、反ユダヤなのだ。
 また、少なくないイスラム系移民は、当然のことながら、ユダヤ人に肯定的ではない。そして、長引くパレスチナ問題について、これは、私もそう思うが、フランスの人たちも、イスラエルに批判的になりがちだそうだ。
 もはや、ユダヤ人を被差別民族と考えていいのかどうか。イスラエルの役人が、広島の原爆忌にさいして、「アジアで殺戮しまくったくせに、被害者ぶりやがって」みたいなことをネットに書き込んで、問題になったことがあったが、いま、イスラエルで行われているパレスチナ人に対する迫害が、世界中の人たちにどういう風に映っているのか、意識してみたことはないのだろうかと不思議に思った。
 元慰安婦が名乗り出たのも1990年代だし、振り返ってみると、1990年代は、そういったパラダイムシフトのポイントだったのかもしれない。
 差別されていたユダヤ人が、今はパレスチナ人を差別する。こないだ渡辺一枝の本を読んでいたら、「万人坑」という言葉が、中国人がチベット人を迫害する文脈で使われていて驚いた。ついこないだまで、同じ言葉が、日本人が中国人を迫害した史実として使われていたのを憶えているから。
 日本のヘイトスピーチの連中を見ていてちょっと発見は、彼らが左翼的な論法を用いていること、‘特権を許すな’とか。そして、一水会鈴木邦夫とか右翼の連中がこれを批判している。
 要するに、差別する連中って、そのときどきに応じて、自分に都合のよい隠れ蓑に潜り込むってことなんだろうなと思う。
 差別は心の弱さなので、ある程度まで薬で抑制できるそうだ。薬で恐怖心を抑制してやると、差別も収まるそうだ。差別でお困りの方はためしてみられたら。