『ヒトラーとナチ・ドイツ』

knockeye2016-11-02

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

 石田勇治の『ヒトラーとナチ・ドイツ』。
 よく「民主的なワイマール憲法から、ヒトラーは生まれた」みたいな言い方がされるけれど、近くに寄ってワイマール憲法をみるとそうでもないらしく、特に、第48条に定められた「大統領緊急令」は、大統領が緊急事態だと判断すると、憲法も無視できたし、基本的人権も停止できた。そのうえ緊急事態の定義もされていないので、大統領は勝手に法律を作れたも同じで、事実上の独裁が可能だった。
 日本の明治憲法の場合は、天皇統帥権の規定に欠陥があり、軍部の暴走を招くことになった(これについてはこの辺を読むのが分かりやすい)が、欠陥憲法はとんでもない大惨事を招くことになる。「国を愛しましょう」とか、「国歌を歌いましょう」とか、クラス委員の提案みたいな草案出してきてるのは、何の冗談なのかと思う。日本の政治家には国政のデザインをする緊張感が感じられない。
 それから、「ヒトラーは民主的な選挙で独裁者になった」みたいな言い方も聞くが、それも正確とはいえなくて、ヒトラーを首相に指名したのは、ヒンデンブルク大統領だった。
 もちろん、第一次世界大戦の将軍であるヒンデンブルクを大統領に選んだのはドイツ国民には違いないが、しかし、ヒトラー首相の誕生がドイツの民意だったとは言えないと思う。
 現にその直前の選挙では、共産党も票を伸ばしていた。ヒトラーは、その選挙のわずか二か月半後に、また選挙を強行する。その際に、「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」を発令して、政府批判の集会、デモ、出版などを禁止した。また、ナチ党はラジオをフルに活用したが、野党にはラジオを使わせなかった。さらに、“ナチ党の突撃隊と親衛隊がプロイセン州の「補助警察」として州政府の治安組織に組み込まれた”のだそうだ。
 ヒトラーが首相になったばかりのこの時点で、もう表現の自由は奪われ、地方自治は暴力で介入されている。
 選挙期間後半に国会議事堂が焼け落ちる事件があり、ヒトラーはこれを共産党のテロと決めつけ、「国民と国家を防衛するための大統領緊急令」(前のとどう違うか分かりにくいが)を出した。国会議員を含む5000人が逮捕、あるいは、突撃隊に監禁され暴力を振るわれた。
 暫定的なはずだった1933年のこの大統領令(議事堂炎上令とも呼ばれる)は、結局、ナチス最後の日まで続いた。
 ユダヤ人迫害について読むと、世界の中でけして多数派ではない日本人としては、ひとごとではないと感じる。ドイツ人口全体の一パーセントにすぎなかったユダヤの人たちについて、ハイパーインフレに苦しむ当時のドイツの人たちには、気遣う余裕はなかった。
 近年、日本でも騒がしかったヘイトスピーチだが、もし、インターネットもツイッターもなければ、私個人は何も気が付かなかったと思う。新聞や雑誌の旧メデイアにしか触れていなければ、今現在も何も知らずにいたことだろう。
 ヒトラーは1919年にこう書いているそうだ。
「理性の反ユダヤ主義が導く先はユダヤ人の特権との闘い、つまり外国人法のもとにある他の外国人とは違って、ユダヤ人が享受している特権を計画的・法的に除去することにある。その最終目標はまさしくユダヤ人全体の排除に他ならない」。
 私の考えだが、バカなことをいう人間は未来永劫なくならない。これに対するただひとつの正しい態度は、関わり合いにならないこと。これに尽きる。バカを分析したり研究したりする意味があるだろうか。バカはバカ。それだけ。ましてや、総統などにはしないことだ。
 キリスト教の暴力性は他の宗教とは比べ物にならない。その後のユダヤ人がたどった運命は悲惨というしかない。ヒトラーははじめユダヤ人をドイツ国外に追放しようとしていた。しかし、戦争に勝つと領地も広がる、広がった領地にはまたユダヤ人がいる。フランスを占領したあとはフランス領マダガスカルユダヤ人のゲットーを作ろうとしたようだが、イギリスが制海権を抑えていたために果たせず、その後、戦況が思わしくなくなると、自分たちが生活を奪った収容所のユダヤ人たちが負担になってきた。身勝手そのものだが、大量虐殺という結果になった。
 しかし、今につながる問題としては、シオニストたちが、実は、初期のころのナチと利害を共有していたという記述には衝撃を受けた。ユダヤ人が自分たちだけの国を作ろうという発想は、根っこでは、ドイツをアーリア化しようとするナチの発想と同じである。イスラエルパレスチナ問題がなぜ解決しないのかのヒントにはなると思った。
 もうひとつは、先の相模原の事件でも話題になった優性思想だが、こんなものは科学的にはとっくに否定されている。しかし、これがホロコーストの根拠になったことは強く意識されていて、以前にスヴァンテ・ペーボについて書いたときのこと、彼が、マックス・プランク協会に招かれてそこに人類学研究所を設立した、1998年頃でさえ、まだ異論があったという。
 あの時それを読んだときは、ずいぶん杓子定規だなと思ったものだったが、しかし、この本を読んでみると、アウシュヴィッツで非人道的な人体実験を行ったヨーゼフ・メンゲレが拠点にしたのが、ほかならぬマックス・プランク協会の前身、カイザー・ヴィルヘルム協会であったことを思えば、人類学が忌み嫌われていたのも当然だと思った。
 差別は、小さな差別でもそれを許してしまえば、あとはとどまるところを知らないように見える。差別してもよい人は一人もいないし、こいつらは差別してもいいんだと思わせてはならないと思う。その意味で、有田芳生としばき隊や、川崎の桜本の人たちがとった行動は記憶されるべきだと思う。暴力に対抗し、自分たちが住む街を守った。奇しくもナチスが向かおうとした方向と真逆のベクトルである。たぶん、差別や暴力に対抗するにはそれしかないだろうと思う。国家を地方の上位に置かないこと、集団を個人の上位に置かないこと。