「black lives matter」のもりあがりとともに、各地で銅像の引き倒しが続いている。かつては英雄や功労者と称せられたものたちが、今では差別の象徴と成り果てている。
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この問題に世界の目が集まる一方で、東アジアを騒がせてきたもう一つの像、韓国の日本大使館前の慰安婦像の周辺も新たな展開を見せている。
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いうまでもなく、慰安婦像はただの作り物で、慰安婦の実像とも事実とも何の関係もない。誰かが慰安婦は二十万人いたと主張しているらしいが、実際には数十人程度の調査がされただけで、以前にも書いたとおり、そのうちの19人の聞き取り調査をした学者の証言では、かならずしも信憑性のある調査とはいえないものだったそうである。
この話を続ける前に、いったん確認しておくが、慰安婦も慰安所も第二次大戦中、日本軍の基地にあったことは疑いない。そして、その場でも、あるいは、その場以外でも、レイプ、あるいは、レイプ以上の暴虐行為が行われたことは、様々な証言からまちがいない。
そのことを否定するつもりもないし、その罪とがをいくらかでも軽んじて見せようというような、むなしい努力もするつもりもない。しかし、いま世界に流布している慰安婦のイメージは、ほとんど無根拠な言説に基づいているということを確認しておきたい。
挺対協は、元慰安婦の証言を囲い込み、慰安婦をめぐる「fact」を自分たちに都合のいい「alternative fact」に変換しようとしている。これがうまくいくかどうかはわからない。歴史は案外そんなものかもしれない。
慰安婦をめぐる問題が、戦時にありがちなレイプというには、あまりにも非道であったとしても(そして、それについても必死で抗弁しようとも思わないが)、その非難は事実に基づいてされるべきで、もしそうでなければ歴史の検証にも、元慰安婦の人権の回復にもならない。現実の慰安婦の事実と何の関係もない「慰安婦像」を世界中に建てまくることに何の意味があるのか、まともな説明ができる人がいたらしてほしい。
映画にたとえるなら「実話に基づく物語」の「実話」の部分を否定するつもりはない。だからといって「物語」の部分まで「事実」と認めるつもりはない。「実話」の部分は「fact」に根拠があるが「物語」は「fake」であり、その根っこにあるものは「hate」である。元慰安婦のイ・ヨンスさんが「水曜集会」を「hateを教えている」と批判したとき、大邱出身の彼女を「大邱ババア」と呼び「このババアは日本軍と霊魂結婚式をした日本人の妻だ」と、韓国のSNSに書きこまれていたそうだ。はからずも、水曜集会が「hate」を教えていたことが証明される結果になった。
アジア女性基金から元慰安婦に渡されるはずだった謝罪のお金について、挺対協がそれを元慰安婦が受け取らないように圧力をかけたことは周知の事実である。受給された人たちには「カネに目がくらんで心を売った」などと非難していた。
ところが、おどろいたのは、最近の韓国の報道によると、
李容洙(イ・ヨンス)さんは昨冬、狭い賃貸アパートで布団一枚に頼って過ごした。たまたまその話を聞いた与党の党職者が、その日すぐに李さんに60万ウォン(約5万3700円)の温水マットを届け、ニュースになった。
というありさまだそうなのだ。また
正義連の記者会見で、記者たちは「なぜ寄付金をハルモニたちのために使わなかったのか」と質問した。正義連側は「正義連は被害者たちの生活の安定だけを目的とした人道的支援団体ではない」と述べた。その代わり「被害者の名誉と人権を回復するために努力した」と説明した。また「過去30年間、活動家たちがどんなに努力してきたのか一度でも考えたことがあるか」と怒りをあらわにする場面もあった。
ということだそうだ。
挺対協のもとには、韓国全土から寄付金が湯水のように届いていたはずなのである。それが元慰安婦に渡らずに、何に使われていたのかとおもうとそらおそろしい。
アメリカでのロビー活動にもお金がかかっただろう。慰安婦像の設置、映画の作成、配給、ありとあらゆるプロパガンダにも元手が必要だったはずだ。そして、もう一度念を押しておくと、挺対協の活動は、慰安婦や慰安所の事実の調査に向かった気配もない。彼らの「活動」は世界中に彼らの「alternative fact」と「hate」をばらまくことだったのである。そして、その「hate」の対象は、ほかでもない私たち日本人なのである。
私たち日本人は、19世紀末に世界史に登場して以来、一方では差別され、他方では差別してきた。「black lives matter」の文脈に寄せて語れば、私たちは、アジアに対しては白人であり、キリスト教国に対しては黒人だった。
私たち日本人のそのコントラストが強く、他の例が目立ちにくいが、人は誰も初めから差別する側とされる側に分かれているわけではない。例えば、ナチスからあれほどの迫害を受けたユダヤ人たちが、自分たちの国では、同じような迫害をパレスチナ人たちに向けて行なっている。
アメリカ国内で、今、「black lives matter」と叫んでいる黒人にしても、米軍が駐在する世界の国々から見れば、白人と同じく横柄なアメリカ兵にすぎない。
私たち日本人の目から見れば、「挺対協」の主張は、まったくの「hate」にすぎない。しかし、それが「hate」であるという意見が、他ならぬ元慰安婦の中から出されたことは、この動きが今後どうなっていくにせよ韓国人にとって誇らしいことだろうと思う。
おそらくすべての国に差別主義者はいる。しかし、結局、私たち日本人にとっても、誇らしいと言えることは、在特会のヘイトデモをカウンターデモが圧倒し、結果として、ヘイトスピーチを処罰する「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」につながったことであるだろう。
七月一日に発効されたばかりだし、これが今後全国的なうねりになっていくのかどうかは分からない。しかし、いずれにせよ、差別が社会を豊かにしていくことはない。もし、「挺対協」の主張が「hate」であるならば、これは阻止しなければならないことだろう。
米国は400年たっても黒人差別を克服できない。なので、日韓の関係がすぐにでもよくなるとはとても期待できないが、すくなくとも、「慰安婦問題」が実は憎悪にすぎないのではないかという意見が表に出てきたことはひとつの前進であるにはちがいないだろう。
「慰安婦問題」について、もはや日本の側にできることは何もない。事態がどちらに転ぶにせよ、韓国とは今後もソーシャルディスタンスを保っていくのが双方にとってよいだろうとわたしは思う。そもそも「慰安婦問題」が外交問題化していること自体がプロパガンダなのだから。